当たり前の日常は「醸造するもの」
こんにちは。ちんたら村のかずしです。
入院していた時に書いたブログが最後の更新になっていまして、
退院からもうすぐ2ヶ月がたち、、、あっという間すぎてびっくらこいております
#ちんたらしすぎ
それはおそらく充実していたから
年末年始は村に遊びにきてくれる仲間たちと近所のお仲間たちで正月飾りを作ったり、おせちを作って過ごしたり
平日は作業の手伝いに来てくれる両親や地元の人たちと山の整備や薪作りをして過ごしたり
土日は里山トラストの釜沼地区の茅葺き屋根職人のイベントに参加したりタラちゃんのベビーシッターをしたり
多種多様な人たちと日常を共にした2ヶ月だったから「あっという間」だったのかなと思っています。
#なのでちんたらハウスでは自分のペースでちんたらしまくっております
あっという間でも忙殺されていた感は無く
冬から春への季節の移ろいに似た、「ちょっとしたコントラスト」を感じながら、微妙な変化を感じて時が進む。
きっと土日はタラちゃんと里山でのびのび遊びながら自然を感じられていたから、ちょっと慌ただしい日々にも流されずに時を感じられたのかな?
#そうだといいな
そんな中で感じていたこと。最近よくFBにも投稿する内容ですが
「思い描いていた日常になってきてるー!」という充実感をちょっと振り返りたいと思います。
村づくりを始めた時
作れる!!絶対作れる!と根拠のない自信たっぷりだった3年前
その自信を支えていたのは、、、、
人間は本能的には子孫繁栄のために生きてるから「子育てしやすい社会を作ろう」なんて『当たり前』のこと。ちょっとテクノロジーに踊らされて人類の路線がずれただけで、人の本質は次世代の育成。だから村は必ず作れるんだ。
とか
家族がより健やかな形で家庭を育める環境を作れたら世の中の人々はそんな環境で暮らしたいって思うのは「当たり前」だから実現できる。
子どもが健やかに育てる環境を作れたらいいに決まってるじゃん。
そんな自分の中では当たり前だった。
「子どもを育てる
地域の人と仲良く暮らす
家族の時間を大切にする」
そんな当たり前のことだから「当たり前」に作れる、、、!そんな自信でした。
しかし、最近の「自分が求めていた日常」に触れて思うことは、「当たり前」は「当たり前ではない」ということ
#何を言ってるんだ。当たり前だ
ご近所さんと買い物をシェアしたり、食事を共にしたり一緒に遊んだり
苦楽を共にしたり、そんなことが日常になっているけれども
実はそれは日々の積み重ねが生んだもの
それはまるで
毎年毎年、山々の木々が葉っぱを落とし、虫や微生物が
塵積ものように土壌を耕し、、、動物がその上に暮らして生態系ができるように
塵が積もるような人々の気遣いや配慮、
挨拶を交わしたり世間話をしたり
暮らしの中で共に協力したり
時にはちょっとした意見の食い違いを経験し
そしてそんな時間を積み重ねていくことで
「子どもを育てる
地域の人と仲良く暮らす
家族を大切にする」
といった当たり前の文化が作られ
守られていくのではないか。と感じております。
#そんな時間と空間を生み出せている今は奇跡なんじゃないかとすら思う
#奇跡?あれ当たり前?笑
暮らしの中で自然に生まれる喜怒哀楽
楽しいの共有。困っているの共有。
時には心配したり、応援したり。
ドキドキやワクワクの共有
当たり前だからすぐにできるんじゃなく
当たり前はそんな時間を積み重ねて今関わる人たちみんなで作っている気がします。
発酵のプロセスにも似ている。
元々は異なる食材が合わさり
様々な微生物が集まり、その中で適度に良い刺激を与えて、そして人間の体にとって良いものだけが残っていく状態を作る。
風通しの良さだったり湿度の管理だったり
そんなプロセスを経て濾し取られたものが
今の暮らしの充実感なのだと思います。
良き醸造の始まり。
これを培養したり、より深みを出したり、
外の人にも楽しんでもらえるようによりまろやかにしたり、、、楽しみですな!
でも、、、きっと楽しいことばかりではなく
つらいことや悲しいことも同じくらいたくさん起きてくると思います。それを一人で乗り越えるのではなく地域の人たちの力を借りてそれぞれ乗り越えていくことで、より味わいが増すんだろうな。
一昔前まで当たり前だったことが今は当たり前じゃなくなっています。
AIロボットVS人間みたいなSF映画がありましたが、今の社会もいつの間にか
人間の本来求めている幸せや日常がテクノロジーの波に押し負けて
人間たちを追い詰めているのではないか、、、と思ってしまいますね笑
#もうすでに戦いは始まっている
しかし、僕がこの2ヶ月の時間で感じた「求めていた当たり前の日常」は
彩豊かに人々を惹きつけ健やかな暮らしが送れる「価値」がありました。
当たり前と信じていたことが瓦解して
当たり前じゃなくなったことに不平不満は山ほどでて来ますが
千葉県の房総半島では、
その当たり前をもう一度作ろう
お金よりもそんな当たり前に価値があると感じる人たちが
日常を積み重ねて変化の時代に当たり前を取り戻そうとしております
都市には都市の当たり前の発展がたくさんあるんだと思います。
そちらも勉強したいなぁと思いますので
都市の人たちと交流できる機会はとてもありがたいもの
ちんたら村に興味のある方
近くに足を運んだ際にはその暮らしをちょっとのぞいてみてくださいね。