ちんたらむらのはじまり

ちんたら村と村人の日常をお送りします

八十八煩悩

 

おはようございます。ちんたら村の和志です。

 

唐突ですが、自分の欲との付き合い方

みなさんはどうしてますか?

 

食欲、睡眠欲、自己顕示欲

 

日々生活していると自分には様々な欲があることを痛感します。

 

4畳半電気ガス水道なしで暮らし始めた1年前

 

冷たい飲水が飲めること

夜の蝋燭が明るく照らしてくれること

お肉を食べれること

 

そんなことで心が満たされていました。

 

その満たされ具合といったらもう

どんな高級料理店で食事をするよりも満たされていました。

 

そこから一年が経ち

村は少し便利になりました。先日の夏みかん胡椒づくりのワークショップでは夏みかん酵素ジュース、柑橘系のケーキ、調味料などなど

豊かな食材をみんなで頂いていました。

 

一年前からは想像してなかった光景です。

 

もっと村をこうしていきたい

そんな欲もどんどん産まれます

 

しかし、振り返ると今の日常でも十分なんじゃないか。

 

そんなことを考える時も増えています。

 

井戸ができて水も豊かになりました。

 

この欲は煩悩なのか。必要なものなのか。

 

村に来てくれる人が笑顔で帰っていくのであれば必要なことなのかもしれない。

 

煩悩か必要なものなのか

ちんたら答えを出していこう

 

難しくて困った困った

ちんたら村の今はこんな感じ!10ヶ月ぶりの東京に行く前に

 

こんにちは。ちんたら村のかずしです。

 

いや〜みなさん。

実はこれから東京に行くのですよ〜

 

 

めちゃんこ気持ちが田舎者になってしまっていて、、、横浜育ち歴15年はどこへやら。。。

 

非日常へレッツラゴー

 

 

今回東京に行く目的はですね。

4月からの村の活動をどのような方向で進めていけばよいか、考えをまとめること。

 

いつも応援してくださる起業家の先輩方に相談したり

気になっている企業さんのお店に行ったり

東京で活動する仲間に会いに行ったり

ちょこっと息抜きにエジプト展に行ったりなどなど

 

楽しみなことは満載なのですが、、、

その前にここ最近の村での出来事をまとめておこうと思います。

#東京に行くと色んな心境の変化がありそうなので笑

 

 

最近の出来事

○村で保育できるようになった

○複数のご家庭からお子さんが遊びに来るようになった

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○裏山の開拓が終わり子どもも大人も使えるスペースができた

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○ちんたらハウスの生活環境が少し改善された(雨樋や水路、キッチン周りがちょっと便利に)

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○住居用の小屋がもうすぐ完成する+その他新しい小屋ゆ村に保育室が作れそう)

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番外編では

ご近所さんの小さな地球プロジェクトが始動し始めた

もう一つのご近所さんの居酒屋立ち上げ計画が始動した

 

こんなことが起きていたなかで

僕の頭の中を占めていたことは、

 

どのようなプロセスを描けば

・村保育が充実するのか

・村づくりに携わる仲間が増えるのか

・村の魅力を事業化していけるのか

 

こんなことだったと思います。

 

今の状態はとても恵まれています。

近所に住む人たちとどうやって未来を作っていこうかと共同できていることに対して、もう大手を上げて喜んでいます。

#お祭りしたい

 

しかし、まだまだ五里霧中感は抜けません。

 

でも霧の中にいながらも、自分たちの強みや価値を実感できています。

 

あとはどういう形で具現化するか。

見聞を広めつつ

自分たちを再確認しつつ

 

何か一つ打ち出していくことといたしましょう。

 

さてさて今週はシティーから学べるところを学び倒そう

 

 

当たり前の日常は「醸造するもの」

 

こんにちは。ちんたら村のかずしです。
入院していた時に書いたブログが最後の更新になっていまして、
退院からもうすぐ2ヶ月がたち、、、あっという間すぎてびっくらこいております

#ちんたらしすぎ

 

それはおそらく充実していたから

 

年末年始は村に遊びにきてくれる仲間たちと近所のお仲間たちで正月飾りを作ったり、おせちを作って過ごしたり

 

平日は作業の手伝いに来てくれる両親や地元の人たちと山の整備や薪作りをして過ごしたり

 

土日は里山トラストの釜沼地区の茅葺き屋根職人のイベントに参加したりタラちゃんのベビーシッターをしたり

 

多種多様な人たちと日常を共にした2ヶ月だったから「あっという間」だったのかなと思っています。
#なのでちんたらハウスでは自分のペースでちんたらしまくっております

 

あっという間でも忙殺されていた感は無く
冬から春への季節の移ろいに似た、「ちょっとしたコントラスト」を感じながら、微妙な変化を感じて時が進む。

 

きっと土日はタラちゃんと里山でのびのび遊びながら自然を感じられていたから、ちょっと慌ただしい日々にも流されずに時を感じられたのかな?
#そうだといいな

そんな中で感じていたこと。最近よくFBにも投稿する内容ですが
「思い描いていた日常になってきてるー!」という充実感をちょっと振り返りたいと思います。



村づくりを始めた時

作れる!!絶対作れる!と根拠のない自信たっぷりだった3年前

 

その自信を支えていたのは、、、、

 

人間は本能的には子孫繁栄のために生きてるから「子育てしやすい社会を作ろう」なんて『当たり前』のこと。ちょっとテクノロジーに踊らされて人類の路線がずれただけで、人の本質は次世代の育成。だから村は必ず作れるんだ。

 

とか

家族がより健やかな形で家庭を育める環境を作れたら世の中の人々はそんな環境で暮らしたいって思うのは「当たり前」だから実現できる。

 

子どもが健やかに育てる環境を作れたらいいに決まってるじゃん。

 

 

そんな自分の中では当たり前だった。

「子どもを育てる

地域の人と仲良く暮らす

家族の時間を大切にする」

 

そんな当たり前のことだから「当たり前」に作れる、、、!そんな自信でした。

 

しかし、最近の「自分が求めていた日常」に触れて思うことは、「当たり前」は「当たり前ではない」ということ

#何を言ってるんだ。当たり前だ

 

 

ご近所さんと買い物をシェアしたり、食事を共にしたり一緒に遊んだり

苦楽を共にしたり、そんなことが日常になっているけれども

実はそれは日々の積み重ねが生んだもの

 

それはまるで

毎年毎年、山々の木々が葉っぱを落とし、虫や微生物が

塵積ものように土壌を耕し、、、動物がその上に暮らして生態系ができるように

 

塵が積もるような人々の気遣いや配慮、

挨拶を交わしたり世間話をしたり

暮らしの中で共に協力したり

時にはちょっとした意見の食い違いを経験し

そしてそんな時間を積み重ねていくことで

 

「子どもを育てる

地域の人と仲良く暮らす

家族を大切にする」

 

といった当たり前の文化が作られ

守られていくのではないか。と感じております。

#そんな時間と空間を生み出せている今は奇跡なんじゃないかとすら思う

#奇跡?あれ当たり前?笑

 

暮らしの中で自然に生まれる喜怒哀楽

楽しいの共有。困っているの共有。

時には心配したり、応援したり。

ドキドキやワクワクの共有

 

当たり前だからすぐにできるんじゃなく

当たり前はそんな時間を積み重ねて今関わる人たちみんなで作っている気がします。

 

発酵のプロセスにも似ている。

元々は異なる食材が合わさり

様々な微生物が集まり、その中で適度に良い刺激を与えて、そして人間の体にとって良いものだけが残っていく状態を作る。

 

風通しの良さだったり湿度の管理だったり

そんなプロセスを経て濾し取られたものが

今の暮らしの充実感なのだと思います。

 

良き醸造の始まり。

これを培養したり、より深みを出したり、

外の人にも楽しんでもらえるようによりまろやかにしたり、、、楽しみですな!

 

でも、、、きっと楽しいことばかりではなく

つらいことや悲しいことも同じくらいたくさん起きてくると思います。それを一人で乗り越えるのではなく地域の人たちの力を借りてそれぞれ乗り越えていくことで、より味わいが増すんだろうな。

 

 

一昔前まで当たり前だったことが今は当たり前じゃなくなっています。

 

AIロボットVS人間みたいなSF映画がありましたが、今の社会もいつの間にか

人間の本来求めている幸せや日常がテクノロジーの波に押し負けて

人間たちを追い詰めているのではないか、、、と思ってしまいますね笑
#もうすでに戦いは始まっている

 

しかし、僕がこの2ヶ月の時間で感じた「求めていた当たり前の日常」は

そんなテクノロジーに負ける余地がないと思えるほど

彩豊かに人々を惹きつけ健やかな暮らしが送れる「価値」がありました。

 

当たり前と信じていたことが瓦解して

当たり前じゃなくなったことに不平不満は山ほどでて来ますが

 

千葉県の房総半島では、

その当たり前をもう一度作ろう

お金よりもそんな当たり前に価値があると感じる人たちが

日常を積み重ねて変化の時代に当たり前を取り戻そうとしております

 

都市には都市の当たり前の発展がたくさんあるんだと思います。

そちらも勉強したいなぁと思いますので

都市の人たちと交流できる機会はとてもありがたいもの

 

ちんたら村に興味のある方

近くに足を運んだ際にはその暮らしをちょっとのぞいてみてくださいね。

 

夜明け

 

今日で三週間の入院生活が終わる。

退院日が近づくとどこか不安な気持ちになっていたここ数日

今も不安は残る。

 

足を止めることの怖さってやつはそんなに生易しいものではなく

腹のなかをねっとりと絡みついてくるように居座っている。

 

早朝のうんこを我慢しているせいもあるかもしれない。

そんなアホなことを考えていると8割型うんこのせいなのかもしれないと思うくらいに

 

少し気が晴れた。

 

不安は不思議なもので

消え去る時は早い。自分でも気付かないきっかけで不安が消えていることもある。

 

この三週間も不安はひょっこり顔を出したと思ったら

いつの間にか希望に変わっていた。

 

しかし、その希望もすぐに消え、不安に変わる。そんな繰り返し

 

病室の中で過ごす時間はまさしく夜そのものだった。

村で過ごしている時は動物たちの世話があるので、自分だけの世界ではなかった。

 

しかし、病室で過ごす時間は夜中に一人佇んでいる。そんな時間だった。

僕はこういう時間が自分の信念が問われる時間だと思っている。

 

自分が生きていく中で縋り付いているもの

信じていたものが信じれなくなると僕は脆い

 

入院中も自分の信じていることは間違っていない。多少のずれは様々なところにあるかもしれないが、方角はあっているはずだ。

 

そんなことを幾度となく考えた。

 

夜が明ける。

どこに歩みを進めよう。

 

こういうことは一人で考えるとろくなことにならない。

身近な人たちに相談しながら決めようかな。

 

村には火が灯っている。

 

大事に大事に育んでいけば、きっとみんなあったまれる。

 

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ちんたら村の戦略

 

ここ数日自然保育や村のような環境がなぜ子どもにとって良いのかというテーマで

研究論文を読みあさっていたのですが、どこを見ても「良い」と書いてあるのです。

 

しかし、こんな講演の資料を見つけた。

 

http://mori-zukuri.jp/wp_foresapo/wp-content/uploads/2017/12/yamaguchi_miwa.pdf

この中でなぜ「森のようちえん」が普及しないのかについて考察がされていた。

 

やはり一番の原因は助成金が得られないこと、行政からの理解が得られないことのようです。

 

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私はこの国からの認可が受けられない要因に「小学校への接続」の課題があると考えています。

私が以前保育所に勤めていた時に「一人一人のその子らしく」を大切に保育をするこども園でしたが、そういった保育をする園に対して小学校側は「椅子に座れるように育ててください。「先生に呼ばれたら返事をするようにしつけてください」「45分じっとしていられるように教育してください」と言った要望を幼児教育現場に出していました。

 

個性を持って自分で考えられる児童が小学校に増えると

今の小学校は困るということです。

 

(過密なカリキュラムの上にアクティブラーニングを押し付けられ、家庭や地域での教育力が低下している昨今にその課題を全部小学校に丸投げされているわけでありますから、どこが悪いのかの原因は社会にあると考えています。

決して小学校を否定しているわけではありません。)

 

さてこのような課題に対して

ちんたら村は国からの助成金ではなく自分たちの経営で保育と教育の現場を循環させていく事を目標にしています。

 

大元を辿れば今の教育も国の中で民間が稼ぎ、税金を収めて、国が豊かになり、子どもの教育も豊かになるという仕組みでありますから、ちんたら村がやろうとしている事と同じではありますが、、、(日本はこれからも長く不景気が続きます)

 

 

村で稼ぐと言っても容易に実現できることではありません。

しかし、私が目をつけたのは「暮らしの豊かさ」=「幸福度」という視点です。

 

これまで村では人がお金をかけずに「幸せを感じる」瞬間を増やせる場作りを進めてまいりました。

 

自給自足のシステムをシェアすること

ローカルの暖かさをシェアすること

 

この部分に関しましてはありがたいことに今の環境は幸せが生み出されているなぁと感じています。

 

少額で幸せを感じる文化というセーフティーネットを作ったわけであります。

村が今「高齢者層に愛されるyoutubeチャンネル」という気の長くなるような継続を視野に入れた動画配信を行えているのもこのセーフティーネットがあるからです。

 

もし、自分の仕事が失敗しても

暖かな人間関係とお金を出して食う飯よりもうまい食事が保証されているわけです。

 

ちんたら村は「大人も子どももちんたらできる場所」

そのための仕組みを模索しながら村づくりを行なっています。

 

3年で結果を出すという視点ではなくもっと長いスパンで結果を出すという戦略を練れるので一般的な新規事業よりも若者が挑戦しやすい環境を作りたいと考えています。

 

 

村での暮らしを自分たちで豊かにすればするほど

村に来るお客さんに提供できる価値が上がります。

また、子どもたちに提供できる価値も上がります。

 

 

先日仲間の一人が

「東京でカフェをやりたいんだ」と打ち明けてくれました。

 

僕はこの話を聞いた時にめちゃくちゃ嬉しかった。「なにそれ!めっちゃちんたらしてるやんけ!」と

 

そのカフェの内容を聞くとこのコロナの環境を踏まえた上で「面白い事業」だと感じました。

そしてそれが村づくりにも良い影響を与えてくれる。

 

近江商人の経営哲学に「三方よし」というものがあります。

売り手よし買い手よし世間よしです。

 

それに加えて現代では

作り手よし、地域よし(環境)、未来よしを踏まえた「六方よし」という考えがあります。

 

この環境は一朝一夕には作れません。ちんたらちんたら過ごせばいいのです。

「ただ牛のように図々しく歩みを進めればいいのです」

 

という暮らしとキャリア実践がちんたら村の戦略です。

 

 

 

 

人の発達は美しい

おはようございます。

 

今書きたい気持ちが溢れています。

 

 

入院しているので朝6時には看護師さんが起こしてくれて点滴を体に入れ

点滴が終わると病院の外に広がる綺麗な海と登ってくる朝日を眺めながらコーヒーを飲んでいました。

 

今日のコーヒーは美味いなぁ

とそんなことを思いながら過ごしていました。

 

そんな時に

車椅子に乗ったおじさんが隣に来ていろんな話をしました。

 

交通事故にあった話

4年半その怪我と一緒に過ごして来た時間の話

その結果、足を切断した話

治療のこと、その時の心境

 

そしてそうやって人は自分の内面を吐露し始めると

過去の様々な思い出に話は深掘りされて行きます。

 

息子を亡くした話

弟が笑わなくなった話

姉を亡くした話

 

本当に悲しい出来事は乗り越えることなんてできません。

どんなに楽天的な人でも、何度も思い出し、何度も悲しみます。

自分だけではなく家族が悲しんでいる姿をみるとなんとも言えない気持ちが蘇ります。

 

悲しい出来事は、心の奥底にしまっておくことしかできません。

 

しかし、それでも人は懸命に生きることができること

 

人生の中で起きる出来事に心を乗っ取られずに生きている人の姿をみたり

その営みに触れるて感じていると涙が出て来て

 

人の生き方に美しさを感じます。

 

子どもたちは悲しみを全身で表しながら発達していき

大人たちは悲しみを受け止めながら発達していく。

 

人は生まれてから死ぬまで発達していきます。

様々なことを受容し、最後には自分の命の終わりを受容する。

 

人の発達は本当に美しい。

 

そんな発達の土台となる乳幼児の子どもたちと関われる

保育という仕事に携わっていることに感謝したいと思います。

自然は綺麗だ 村保育の可能性

 

壮大な景色、光と陰のコントラスト、素朴な色彩や形

自然の景色は多くの人を感動させますよね。

 

癒し効果はさることながら、集中力を高める効果や、視力をあげる効果などなど

自然は綺麗なだけでなく、美味しい食べ物だけでもなく人生を豊かにしてくれる様々な要素があります。

 

社会人や青年期の子どもへの影響も研究されている中で、乳幼児を対象とした研究はまだ少ないのが現状ですが、先の研究を見てみると綺麗な景色を見ることがいかに人にとって有益かがわかります。

 

https://wired.jp/2010/08/25/「自然な景観」が人に与える影響/

 

また「感動」という状態が人に及ぼす影響なども幅広く研究されており

心を動かす体験や経験は人に大きな影響を及ぼすことも分かってきています。

 

 

感動体験に伴う感情が中学生の人間的成長に与える効果の検討 -自立,協同,創造の観点から-

https://core.ac.uk/download/pdf/236639195.pdf

 

 

自然環境の中で行う子育ては子どもにとってどんな影響があるのか。

自然の「景色」や「景観」を見ることの効果を

「共同注視」というテーマで今回はお伝えしようと思います。

 

共同注視とは

相手が見ているものを見る行為のことです。

 

生後9ヶ月の赤ちゃんは相手の視線を追う「視線追従」という行為をするようになります。

そして12ヶ月ごろになると相手の視線を見て「何を見ているのか」わかるようになってきます。

 

街中を子どもと母親が歩いているときに前から犬が歩いてくると「あ!わんわん!」と大人が子どもに犬を見せようとします。

 

救急車を見つけたり、飛行機を見つけたり、

発見したものを相手に見せあい、一緒に見るようになるのです。

 

この行為は「共感」の元とも言われています。

 

綺麗な景色を見たときに人は思わずその景色をだれかに見せたくなります。

野生の鹿たちは、一頭の鹿が一つの方向を見ていると周りの鹿も危険をいち早く察知するために同じ方向を見始めます。

 

この共同注視をする能力は視界からの情報を頼りに群れで生きる哺乳類にとって大変重要なものなのです。

 

現代においてtwitterfacebookのようなsnsが発達しているのもこの「共同注視」や「共感」というものが人が生きていく上で大きな影響を及ぼすことを人間たちのDNAに深く刻まれているからなのかもしれません。

 

赤ちゃんの時に、身近な存在と目を合わせて心を通わせて愛着関係を結び

その関係のある人と同じものを見て、一緒に感じることはとても大切な子育ての行為です。

 

集落の保育環境で2歳のT君は「はっぱ!はっぱ!」と自分の知っている葉っぱを見つけると

近くの大人に見せようとします。

それはT君の周りの大人たちが銀杏や紅葉の葉などや大きな枯葉をT君に「綺麗な葉っぱがあったよ!」と見せているからです。

 

そのほかにも、白鷺やカエルやカマキリなどを見つけた時も大人はT君に「見て!」と共同注視を促すのです。

 

都会の環境と自然のある環境で大きく差があるのがこの共同注視を促すバリエーションの数にあります。それは環境の変化する度合いも大きく影響しています。

 

秋になって山の落葉樹が一斉に葉っぱを落とす光景は大人も子どもも思わず見てしまいます。

そしてその時感じた気持ちを共有するのです。「すごいね!」と

そして幼児期になり、感動する心が育ってきた時には

様々な感動を自然は人に与えます。

 

冬から春へ季節が暖かくなってくると見られる「新緑」は何度見ても人の心に「綺麗だなぁ」と思わせます。

 

私の保育のバイブルでもある。レイチェル・カーソン

 

レイチェル・カーソンは著書『沈黙の春』で、身近な自然と多く関わった子どもは「センス・オブ・ワンダー(自然の持つ神秘さや不思議さに目を見はる感性)」が育まれていくと書きました。

 

そして「知ることは感じることの半分も大切ではない」と述べています。

 

 

 

日本がなぜ地球の中で先進国の一つになれたのかという問いの私の仮説は

日本の自然の豊かな「四季」とその環境によって日本人の情緒がとても豊かに育ったからではないかと考えています。短歌や俳句、日本建築、生活の様式美、これらを育んだの日本の四季です。

 

 

 

自然公園などに行って触れる自然と里山の暮らしの中で感じる自然には大きな差があります。

自然体験を子どもにさせたがる人がいますが、させられる体験から何かを学ぶことはほとんどありません。

 

日本の自然の持つ力を子育てに活かす術を保育士としてもっともっと高めていった時、

 

その保育は

現代においても世界に通用する保育になるのではないかと思います。