ちんたら村 村長のブログ

村づくりのあらゆるプロセスを共有します

ちんたら村 保育するってさの話

みなさんこんにちは。

ちんたら村の和志です。

 

この一ヶ月

こんなにも「ゆっくり」と過ぎる時間はなかったんじゃないかと思うほど、

 

自分の思考を止め

活動を止め

日常生活をスローにして過ごしてきました

 

ちんたら村の活動を進めてきた中で、

本当に色々なことをやってきましたが

今までの活動は「ノリ」と「勢い」と「自分たちが楽しいかどうか」を大事にしていました。

 

しかし

今の僕からは怪我のためノリと勢いが失われています。ノリと勢いは「行動力」と言い換えられるかも知れません笑

 

行動力を失って時間を過ごすのはとても辛かった

 

土地を切り開いて

家を作って

野生動物から肉をいただいて

畑を耕して、、、

 

そこから

 

指を汚して

治すために医療にかかったら

しばらく身体を動かせなくなって

 

 

仕事もできなくなりました。

 

 

それこそ

日本で一番ちんたらした夏

を過ごした男になったんじゃないかなと思います。

 

ちんたらの典型的なパターンですよね。

 

周りから「やめとけ」と言われた忠告を無視して、仕事を辞めて移住して

案の定苦労して

 

保守的な人から見たら、「ほらな」とか「やっぱり」と思われるような自分になっています。

 

まさにちんたらしている人ですね笑

 

しかし、ちんたら村の村長としては

 

「ちんたらすることに意味がある」

 

と思い続けていました。

ほぼほぼが願いだったかもしれません。

 

ある時は鬱屈としたり

ある時は焦燥感に苛まれたり

ある時は生活が堕落したり

自分のちんたらに向き合い続けました。

 

そして今思います。

 

ちんたらして良かったと

 

なぜなら今後のvisionが見えたからです。

思考を熟成させるとはこのことかと自負しております。

 

そしてなにより

なぜ「ちんたらしていい」と思うことを大切にしているか、はっきりしました。

 

「ちんたらしてもいいんだよ」という考えは

どんな状況でも「前を向いていいんだよ」と

思える考え方なんです。

 

失敗したっていい、休憩してもいい、堕落してもいい、やりたいことやってみちゃってもいい

自分なら大丈夫だよと思える方法なんです

 

逆に言えば

失敗しちゃいけない、休憩しちゃいけない、堕落しちゃいけない

 

なんて考え方はあまりにも刹那的すぎる考え方で、人生はもっと長い

 

生きる希望を自分の心につなぎとめておければ

どうなったっていいんです。

 

どんなにつらいことがあっても

どんなに苦しい時期があっても

 

はっきりと持ってなくてもいい

 

生きる希望を

つなぎとめておくこと

 

それさえあれば人は豊かにいきていく力を持っている。

 

だから「ちんたらしてもいい」と思える人は

最強なんです。

 

ちんたらしてる自分を認められる人は最強なんです。

 

そんな僕なりにちんたらしてみて

 

見えたvisionそれは

 

ちんたら村

『保育やります』

 

1人でも2人でも保育をします。

 

村の近くに住む子育て家庭まで迎えに行って

お子さんを預かります。

お金はかかった費用+お気持ちくらい頂きます。

 

村の中で真剣に保育をし

子どもの成長や

保育士がどう保育をしたのか記録して

 

村での保育をメディアに載せて世界に発信します。

 

どうやったら子どもが豊かに育っていくのか

どうやったら豊かな子育てができるのか

 

これは人の大きな関心ごとです。

大きな関心ごとだし

真剣な悩みでもあります。

 

世界中の人が考え続けている課題でもあります。

この急速に変わる時代の中で

子ども達を育てるにはどうしたらいいのか

 

資本主義や都市化、テクノロジー急激な変化が起きてる中で、僕たちが見出した答えが

村での保育です。

 

それにちんたら村は真剣に挑みます

今年はそのための準備期間

 

来年の4月から1年をかけて

真剣に村保育を実践して

その様子をメディア化させます。

 

それには仲間が必要です。

目の前の子のために真剣に保育をしたい人

子どもの成長や保育の奥深さを世の中に伝えるために真剣に撮影をしたい人

 

そんな仲間を募集しようと思います

 

来年の4月からちんたら村に住んで

共に保育をし、共に保育の奥深さを

日本中に発信する、仲間が必要です。

 

この激動の社会に喰らいつこう

 

現代の子育てのシステムをひっくり返そう

 

これからも日本社会は若者の自殺者や引きこもりの数が増えていくと言われています。

 

そんなクソみたいな未来なんて

 

僕ら保育士の専門性と保育の力で変えてやりましょう。

 

そんな仲間を集めます。

 

周りに子どもに関わる面白い大人がいらっしゃる方、Facebookでそういう人と繋がってる方

このブログをシェアしてくれると嬉しいです。

僕ら若者がやるべきことは「自分を知ること」だ

どうも。ちんたら村の和志です。

 

今回のブログの内容は

僕ら若者がやるべきことは「焦ること」じゃない。

「いろんなことに手を出すこと」でもない。

 

「自分を知ること」

 

そのために時間を使うことが大事だと

 

自分に言い聞かせる内容となっております。

 

人生の先輩方

もし文章を読んだ後に

もっとこうしたらいいよ。ということがあったらコメントでもなんでも教えてもらえると嬉しいです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

入院5日目。

自動で起きあがらせてくれるベット。時間になると運ばれてくる美味しいご飯。

手をかざせば出てくる水と、いつでも心地よい空調。

 

そんな楽園生活を続けている中で、ふつふつと湧き上がる気持ち。それは

 

不安と焦燥感

 

facebookで友人ががんばっている様子を見つけて

心がざわつく。

 

youtubeで同い年がバズってる。

 

俺もがんばりたい。と思う。

しかし、自分の左手は今後数ヶ月まともに動かせない。

 

村とは打って変わる便利な入院暮らしが、より一層不安を煽ってくる中

 

ここ数年、度重なるアクシデントに襲われてメンタルが鍛えられた僕は

こんなことを考えるようになった。

 

「なんやかんや思って考えても

自分にできることは多くない。」

 

保育士をしているときに経験した。

色弱の自分の眼じゃ、子どもの顔が赤くなっていることに気づけない。

 

怪我の程度をちゃんと把握できない保育士じゃ

怪我に最善の注意をし中谷いけない今の社会の中じゃ

保育士は向いてない。

 

次にやってみた農業でもわかった。

子どもの顔色だけじゃなく、野菜の色の変化にも気づけない。

色の変化に気づけない人が

自信を持って野菜を育てるのは難しい。

 

そんな僕なので

 

できることはできるし

できないことはできないのである。

 

もしこの指が治ってまたギターを弾いて歌ったって

どこかの有名歌手見たく1曲歌って

誰かのテンションをぶち上げる事なんてできないし

 

病院の看護師さんみたいに沢山のタスクを処理することも苦手。

できないことが沢山なのである。

自分には向いていないと「知れた」のである。

 

反対に自分に向いていることはなんなのか

保育士をしている中で、「子どもや保護者から気を許してもらいやすい」

という傾向があることは分かった。

 

それは今村づくりをしていて

いろんな人に助けてもらってる中で

とても自分の大きな強みになってると思う。

 

保育や教育、経済、暮らしといった分野に対して

保育者としての視点、農業者としての視点、田舎暮らしをするものの視点

自給自足をするものの視点

 

それらの経験を生かした、自分なりの視点を持っていることも知っている。

 

これからも続けていく村づくりだが、

その中でも、「何が」自分に向いているのかは

 

今でもさして分かっていないのである。

 

でも、村にお客さんが来てくれて

ちょっとしたおもてなしを喜んでくれたり

 

一緒に畑や水路を作って、村の活用を豊かにしていったり

 

分からない問いを語ったり

作業の合間に話したり

食卓を囲む中で議論するのはとっても「楽しい」ということを知った。

 

お客さんも喜んでくれることを知った。

 

この社会の中において、自分のどんなところが

価値として認めてもらえて

どうやったら

みじかな人の為になれる自分でいれるのかは

 

探し続けるしかない。

 

だからこそ、「自分を知ること」に時間を使っていきたい。

 

本来であれば学童期にそういったことは終わらせたかったが

まだまだ足りてないので今やるしかないのである。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

僕ら若者がやるべきことは「焦ること」じゃない。

「いろんなことに手を出すこと」でもない。

 

「自分を知ること」

 

何もやらなくてもいいのです。

ぐうたらしてもいいのです。

ちんたらしてもいいのです。

肩肘張って頑張ってみてもいいのです。

いろんなことに手を出してみてもいいのです。

 

しかし、一番大切なのは

「自分を知ること」

 

もし、

自分の気持ちよりも何か別のことを優先することが多い人は

 

自分の気持ちを見ようとしないと見れなくなってる。

知ろうとしないと知れなくなっているかも知れません

 

僕もそうでした。

 

様々な経験の中から生まれる思考や感情を

自分なりの行動に昇華して

また一歩時間を重ねていく。

 

 

ちんたらちんたらしたいのが自分の性分

 

そうやって育ってもいいんだよと

未来の子どもたちに伝えたいので

ちんたらちんたら自分と向き合おうと思います。

 

1ヶ月ご

自分は何をやってるかな?

 

それも楽しみな未来です。

 

 

ちんたら村の先住民が入院すると①

 

今日から入院したのですが、、、

ショックというか何というか

 

村での生活とかけ離れすぎているので

色々考えさせられております。

 

入院中、暇なので日記を書こうかなと思うのと

僕の体験を面白がってくれる人が少しでもいるのならと投稿したいと思います。

 

入院生活はじまりはじまり〜

 

朝9時(入院2時間前)

ちんたらハウスにて

友人が療養中、暇だろう、と

送ってくれた手塚治虫ブッダがあと少しで読みきれそうだったので入院する前に読み切っちゃえと読んでいた。

 

読み終わり最近読んだ本を整理していると

一つの本が目に止まった。

 

その本をぺらっと捲るとそこには

 

アペリティフという文化について書かれていた。

何かの出来事の前のワクワク感、高揚感を一緒にいる人と共有しながら談笑したり、お酒を飲んだりすることらしい。

 

入院前、、、

少し気持ちがワクワクに傾いていたのである。

退院後にやりたいことも沢山あって

そんな気持ちのソワソワを家族と談笑しながらシェアしていた。

 

入院前のアペリティフ

多分使い方を間違えているだろう。

 

そんなこんなでラッキョの塩漬けをつくり

家を出発して病院へ向かった。

 

到着して受付に向かい

「11時から入院の予約をいれてる山本です。」

と伝えると、

 

「13時半からの予約になってますが、、、」

と答えられた。

 

初入院のウキウキ感は肩透かしを喰らい

家族のもとへ戻り伝えると

 

「もう、そんなのばっかりじゃない」

と苦笑を貰った。

 

しかし、そのまま時間まで病院の周りを観光

 

千葉県鴨川市

学生の頃憧れだった先輩との初デートをした思い出の鴨川シーワールドがある。

 

甘酸っぱい思い出を思い出しつつも

 

五年後まさか

チェーンソーで指を切って

この地にきてるとは、、、と苦笑しつつ

 

房総半島の起伏のとんだ海岸線を見て周り、

母と海に魚いるね〜などまったりと過ごし

郷土料理の巻寿司を食べ、

山頂の大きなお寺におまいりをして

13時半まで過ごしたのであった。

 

なんて充実したアペリティフ

 

アペリティフは本来欧州などで食事の前に談笑したり、少し食前酒を飲んだりする時間のことを指すらしい

 

そんな気持ちが穏やかになった状態で自分の入院部屋に通され、家族と別れ、ゆっくりしていると、

 

手術をしてくれる外科医さんが

手術の説明をしてくれた。

 

思っていたよりやることの多い手術で驚いた。

 

靭帯を他所から移植したり

軟骨を他所から移植したり

もしかしたら神経も移植せにゃならない

 

体のあちこち切ることになっていた。

 

指一本のために胸も膝も手首も切るなんて、、、

 

もちろん麻酔も全身麻酔であった。

 

眠ってる間に手術は終わっているのだそうだ。

それをきいてとてもソワソワしてしまった。

 

入院期間を一週間で済ませられないかとお願いしていたのだが

改めて1週間もこの部屋にいるのかと思うと

かなり気が重たくなった。

 

お医者さん的には2.3週間いたほうがよいと言う。勘弁願いたい。

 

しかし、リハビリの話を聞くと

ちょっとしんどそう。

 

なにせリハビリをするために指の骨に金属を三本ほど刺すらしい。

 

リハビリのためにだ。

 

予想外すぎてオーマイガーである。

 

そして極め付けはお風呂である。

 

村では4.5日にいっぺん風呂を入っていて

 

自分の清潔状態は、日光浴したり、風当たりをしたりして、整えていて、

 

それに慣れてくると毎日皮膚の脂を落としちゃうほうが、あまり肌の調子が良くないと感じていた。

 

しかし、

病院では入浴の時間が決められている。毎日入らなければいけないのである。

 

動物が人にシャンプーをされるのを嫌がる気持ちがよく分かった。

 

自分で風呂に入らず肌の調子を整えていたのにこれから毎日風呂に入らねばならないなんて、、、

 

こちらもオーマイガーである。こんなことにショックを感じている自分に対しても村で生活して、野性的になったもんだと俯瞰して見ていたのも少し面白い。

 

入院の日課では村での生活とかけ離れた世界がこれからも待っているだろう。

 

鴨川の海で身体を自由に使って波に乗っているサーファーを横目に、

 

先住民の入院生活が始まったのであった。

f:id:chintarakazushi:20200726170641j:image

美しいと感じたのです。

 

先日のブログを読んでくださった皆様

いつも応援してくださる皆様

ありがとうございます。

 

怪我をしたことについて発信するかどうか迷ったのですが、昔の友人から連絡がきたりといろんな人から励まされたりと僕としては発信してよかったなぁと、、、

 

みなさんから頂ける

心配の声や応援の声のおかげで

また一つ前に進む勇気を頂いております。

 

僕が活動を続ける中で皆様に良きエネルギーを還元できるようにがんばりたいと思います。

本当に感謝

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

さて、今回は怪我をしてから

毎朝起きるたびに

「本当に手術をしていいのか?」

という心の奥底から湧き出る問いについて

 

少し消化できたので文章に起こしたいと思います。

この文章が誰かの前に進む、

もしくは後ろを振り返るきっかけになると

いいなと思って書きます。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「美しいと感じたのです。」

 

ある家族の生き方を美しいと感じた。

 

徳島県の山の中に住む

7人と数匹の動物と暮らす家族。

 

子どもたちは逞しく、

親たちはもっと逞しい

 

三歳の末っ子ちゃんは

シャツだけを身につけてちんちん丸出しで

過ごしていて

金玉をマダニに数回喰われていても

へっちゃら、たまにおしっこをちびる

 

五歳の長女ちゃんは

僕がそのご家族がやっているゲストハウスに泊まりに行った時に一番最初に出迎えてくれて

「お兄ちゃん!今日泊まる人???」とキラキラした笑顔で犬の散歩をしながら出迎えてくれた。

 

その家族は自給自足をしていた。

 

そして、自分たちの生き方について

日々考えながら生きていた。

 

なにが子どもたちにとって一番良いのだろうか

自分たちにとって何が一番良いのだろうか

未来のことを考えて、どんな暮らしをしたらいいのだろうか

 

衣食住

 

働き方

 

子育て

 

人間関係

 

全て手作りの生活と

その家庭の文化を見て

安心感と暖かみを強く感じた。

 

自分もこんな風に生きたいなぁと

 

印象に残っているエピソードが1つ

●自然分娩

 

これらに直面した時の夫婦の決断

 

自給自足をしながら5人のお子さんを出産をしていた。

 

病院に行くと様々な薬を勧められたが

「絶対に変な薬を使わずに自然に産みたい」

という思いから、自宅出産、自然分娩を診てくれる産婆さんを探し、

 

「出産にリスクがあっても

死を否定することは生きることを否定すること」

という生への強い思いを持って家庭を営んでいた。

 

 

生きる信念があり

そして、それを誇示するわけでもなく

 

「なにが正解か分からないけど、

自分たちで考えてこんな風に生きているんだ」

と穏やかに笑いながら話すご家族に触れて

 

美しいと

感じたのです。

 

刹那的な今を生き続ける姿

死生観の揺るがなさ

 

自分もこうやって生きていこうと憧れた。

今も憧れている。

 

美しい生き方だと思ったんです。

 

しかし、

 

僕の信念は

自給自足をすることだけではない

医療を受けないことではない

 

「出会った人達と

喜怒哀楽を共にして助け合って生きていくこと」

 

これだけは守りたい

 

むしろそれだけ守れればいい

 

美しく生きたい。そう思う。

 

でも、自分の思う美しさと

出会った人達と喜怒哀楽を共にして助け合って生きていくことは

 

別の話

 

プライドや憧れはそっと片隅に置いて

手術と入院を受け入れようと思います。

 

 

よ〜く考えたら

そのご家族は東洋医学を沢山学んでいたから

そういう決断をできたのです。

 

僕は医学をま〜たく知らないから

人様の助けになるしかないのです。

 

勉強不足ただそれだけ

 

それでも、、、

 

美しいと感じる生き方をしている人に

ちゃんとこの生で出会えたんだ。

 

この気持ちは大事だと思うんです。

 

26日から入院して27日に手術をして

その後経過をみて退院する予定で

8月1.2日に参加したい研修があるので、

それに出られるといいなぁとか思うくらいには軽傷だと勝手に思ってます。

 

8月も村に来る人を受け入れれたらいいなぁ、、、

理想の生き方とのギャップ

 

今回のブログは今渦巻く自分の心境の吐露になります。

 

読む方が気分を悪くするかもしれませんので

心配な方はブラウザバック推奨です。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

僕は自給自足の生活を目指して

日々生きていました。

 

社会のよく分からないさまざまな仕組みに合わせて生きるのではなく

自分の身体一つで生きていきたい。

 

その土台を作った上で社会活動していきたい

 

 

そう思っていました。

 

しかし、先日、

チェーンソーで手に怪我を負ってしまいました。

 

怪我をした瞬間に

「病院に行きたい!!」と思いました。

 

痛くて、

「早くこの状態をなんとかしたい。」

それだけをその瞬間は考えていました。

 

しかし車で病院に運ばれる最中

思っていたのは「自給自足してるのに情けない」という思いでした。

 

自分の責任は自分で取る。

 

怪我をしたら、病気になったら、、、

 

それは運命で

 

もうそこまで。

 

過度な治療や医療は受けたくない。

これが僕の理想の生き方でした。

 

実際にそうして生きている人にお会いして「そうだよな。そうだよな。」と

 

自分もそうして生きていこうと決めていたので

 

今回の怪我とそれの治療に関して

とてもマイナスに考えてしまっています。

 

情けない。

 

本当に情けない。

 

所得を低くして生きていこうと考えた要因も

医療や税金、その他お金のしくみに反抗したかったから

 

しかし、怪我をして医療を受けている自分は

そのしくみに助けられてしまっています。

 

指一本なくなるくらい

 

どうということはない。

 

と思う一方、

 

自分の身体は親が産んでくれた大切な身体で、

特に手は綺麗な手に産んでくれたと

自画自賛している部分でもあって

治るものなら治したい

 

ギターも弾きたい。

取り戻せることなら取り戻したい。

 

しょうもない欲求だ。こういう欲が

全てを悪くする

 

ずるずるずるずる、甘えて、保守に走る

与えられていることが当たり前だと勘違いする。

 

医療を受けられるのは当たり前の権利だと

 

指が切れても、今の医療なら治って当たり前だと

 

病気になっても誰かが治してくれると

 

勘違いする。

 

それは自分以外の誰かが人生の大切な時間を使って働いたお金で助けられていること

 

医療関係の方々が血反吐を吐きながら

沢山の進歩を積み重ねてきたからこそ

 

僕の指は治ることを忘れてはいけない。

 

 

自分以外の誰かが負担をしてくれていること

を忘れてはいけない。

 

医療をうける自分にはその責任がある。

 

 

その責任を果たせるのであれば、、、

 

そう考えると心が救われます。

 

自分の責任を自分で取れず

目に見えない誰かの何かもわからないエネルギーに助けられている。

 

自分もどんな形であれ社会に還元していかないと、、、自分の心が折れそうです。

 

これをエネルギーに変えて進むしか

僕が僕らしく生きていくことはできない。

 

こんなネットの書き込みで意思を表明することでしか、今のモヤモヤを晴らせないのもどうかと思いますが、、、

 

ここまで読んでくださった方

ありがとうございました。

 

7月末に手術をしてその後入院になります。

その間村づくりをお休みしますが、

術後、僕の身体が動かせるようになったら

村に遊びにきてくれると嬉しいです。

居心地の良いコミュニティづくり

居心地の良いコミュニティが村に遊びにきてくれると

この空気感を自分も作れるようになりたい!と思ってしまいます。

 

 

とある保育園のスタッフの方々が村に来ると

お父さんとお母さんのような経営陣の方々が中心となって

ユーモア飛び交う面白さ、

何を話しても受け止めてもらえるような居心地の良さ、

保育園の組織をよくしていこうという

とても前向きな

素敵空間を作り出します。

 

スタッフの方々も一人一人が個性的でも、お互いの個性を尊重して過ごしていて
村の回収作業を手伝ってもらった時も、焚き火を囲んで宴をした時も

どんな時でもその保育園のスタッフさんが村に来る時には

それはまぁ素敵な空間になるのでした。

 

 

 

テスラ を愛用しているおじさんのお友達グループが来る時も

おじさんのパッション溢れる生き方によって

元教え子が大人になっても関わりを持ち続ける先生の実直な生き方によって

一緒に来る学生さんたちは物事をクリティカルに捉えながらも未来に希望を持っている人たちで「学びたい」「経験したい」と前向きなエネルギーに満ちているので、鹿の屠殺や解体も興味を持って、学ぶ視点を持ってしっかり経験して帰っていってくれました。

 

 

そして先日来村したシェアハウスとっとの皆さんも

小林夫妻とお子さんのまつりを中心に

お互いを尊重することをベースに時に対話をはかりながら成長し合う、育み合う関係性。楽しいことをやろう、美味しいものを食べよう。前向きな行動をシェアしあう皆さんと過ごす時間は、生身の人間の暖かな繋がりを感じられる、こちらも素敵な空間となりました。

 

 

宿泊料に関して千円でいいの?と来村者の方から聞かれますが、

僕はみなさんのコミュニティの一員に少しばかり入らせていただくことで

とても充実した気持ちと学びをいただいています。

 

 

村で自給自足をしているだけで訪れてくれるのですから

本当にありがたいことです。

 

 

 

先日zoomで拡張家族のコミュニティを運営するCiftの一員の方から

自己変容を促すためには「関係性」と「主体性」の相互作用が起きて初めて生まれるという学びをいただきました。

 

●関係性

あなたもわたし

弱さで繋がる

共に生きる

助け合う

共依存関係

居場所

 

●主体性

あなたとわたし

強さで繋がる

共に働く

育み合う

共自立関係

出番

 

関係性だけでは足りず、主体性だけでも足りずどちらも必要だと教わりました。

 

 

コミュニティの中心にいる人がコミュニティの空気を作る。
まずは身近な村民同士で豊かなコミュニティを築いていこうと思います!

SDGs時代のビジネスについて

 

どうもこんにちは。
ちんたらむらの和志です。

 

村での共同生活が始まって1ヶ月が立ちました。
村民四人、犬一匹、猫二匹での暮らしはとても賑やかで毎日が飛ぶように過ぎていきます。
村の規模はこれくらいが今のキャパシティーではありますが、、、
早くもう一環境を整えて村民が八人程度暮らせるようにしていきたいなと考えているものの来週は鶏が6羽、村にやってきます。

 

人より動物が多い笑

6月には人間の環境を整えて村民が八人暮らす。

というのを目標にしていきたいです。

 

 

さてさて村の近況はこの程度にして、、、

今回のブログのテーマは「SDGs時代のビジネスについて」です。

 

このような記事をあげるには理由があります。

 

それは、、、日本の自然の循環を壊す恐れがある事業の話を身近なところで聞きました。

 

どんな仕組みかと言いますと

 

一言で表すと

ジビエの海外輸入」です。

 

なぜ、「ジビエの海外輸入」が日本の自然の循環を壊すことに繋がるのか

これは僕の考えなので、この文章を読んで「それは違う」や「勘違いも甚だしい」ということであればぜひコメントいただきたいです。

 

 

僕が住む千葉県富津市豊岡という地域には猪や鹿、猿などが大量に生息しています。

作物被害が膨大で住んでいる人たちは困っています。

 

なので昔から猟師さんが人間の暮らしを守るために駆除をし、土に返していました。

 

しかし、昨今は

猟師の高齢化が進み、人口の減少も合間って猪、鹿は数を増やし、

人間が自分たちの住処を守るために

自らの敷地を檻で囲み暮らしているほどです。

 

そこに目をつけたのが某警備会社。

 

猟師さんたちの仕事である。

仕留める

土に返す

ということを肩代わりして

ジビエの肉を食品に加工し、ネット販売を始めるという内容です。

 

 

一見、表面だけを見ると

猟師さんは今までと同じように罠をかけて捕まえれば

捕まえた分だけお金をもらえて

仕留める手間

土に埋める手間

事務手続きをする手間

が省けるので高齢になった猟師さんたちは大喜びです。

 

そして住んでいる住民たちも

害獣の駆除効率が上がって害が減り、こちらも大助かりのように見えます。

 

 

しかし、僕はそうではないと考えています。

 

獣を捕まえて他所で売る

ということは、その土地の土に帰るはずだった有機エネルギーはどこに行くのでしょうか?

 

今までその地域で循環していたエネルギーがよそに行ってしまって

戻ってくるのでしょうか???

 

おそらく3年、5年という短い期間では、獣害が減った、

捕獲頭数が上がったなどと、メリットが挙げられると思いますが、、、

 

10年後20年後、海外に輸出していった先にその山がどうなって行くのか

考えているのでしょうか?

 

 

大きな会社が大量の鹿や猪の体をよそに売り飛ばして

山に残るのは、痩せた土地だけです。

 

そこに循環はありません。

 

ただでさえ気候変動で短期集中型の雨のせいで手入れされていない山は

土が痩せ、土砂が流れ、栄養がたまらず、岩肌が見えるほどに痩せてしまっている。

 

その土地から大型哺乳類の存在が抜けていくと

 

山の資産は少なくなっていきます。

 

 

農業のように、肥料を入れて野菜を作り、また肥料を補填する

と言ったことはできません。

 

 

それに

今までずっと川や山の恵みを生かして暮らしてきた

地元の方々の暮らしは守られるのでしょうか??

 

 

 

バブル時代の「その時に甘い汁を吸いたいがために後世に莫大なツケを払わせる」といったような、この悪循環をまだ続けようとしている人がいることに僕は悲しいです。

 

 

限界集落からこれ以上搾取しないでほしい

 

心からそう思います。

 

ただでさえ、人が減り、山の手入れが行き届かず、都会からの産業廃棄物が流され、

都会からの製品が流入し、地元の製品が淘汰されている

 

そこに残っている貴重な文化すらも奪われようとしています。

 

SDGsとは大きな会社や都市の持続可能性だけを考えるものではないはずです。

 

 

僕は日本が世界でも通用する持続可能で豊かな社会を作るためにできることは

 

「日本の里山文化」や「武士道精神」を海外に発信することだと信じています。

 

昔の人々が丁寧に暮らす中で培ってきた自然と共存する知恵や技術を

 

周りの人、もの、自然に対してフェアであり誇りを持ちながら生きる精神を

 

それが日本にしかできない、これからのSDGs時代を生き抜く答えだと感じています。

今、様々な企業がそれを体現するためにあらゆる努力をする中

 

どうして地方の自然の循環を壊すビジネスを起こそうとしているのか甚だ疑問です。

 

廃れゆく地域は搾取されればいいのでしょうか??

 

そもそも搾取していることに気づけないのでしょうか?

 

 

自然とともに暮らしてきた日本人が

自然から切り離され、効率や資本といった文化に飲み込まれ

ついには自らの土地を痩せさせるという行為に走る根本的な原因は

教育にあります。

 

 

ちんたらむらでは、自給自足を心がけています。

なぜなら、世界中の食料の流通がこの「循環を壊す文化」があるからです。

フェアではない取引がたくさん行われています。

食の安全性の観点や

食料難の時代を見据えてこれからも村では食の自給自足を進めていきますが、、、

 

SDGs時代のビジネスをするにおいて

自然の循環に「暮らしながら関わる経験」

そしてそこから学べる環境が必要だと思います。

 

世の中の流れはどんどん自然の営みからは離れていきますが、、、

 

もうすでに大人になった方も

子どもと一緒に学べるような

そんな教育の場所が必要です。

 

だからちんたらむらを作ります。

 

幸い、村付近の猟師さん方は

この会社からの提案は受けないそうです。

 

世の中にはこのような構図のビジネスがいたるところにあるのだと思います。

 

せめてこの地域だけでも健全な循環を作り、次世代の人や自然を育てられる場所にしていきたいと思います。