ちんたら村 村長のブログ

村づくりのあらゆるプロセスを共有します

理想の生き方とのギャップ

 

今回のブログは今渦巻く自分の心境の吐露になります。

 

読む方が気分を悪くするかもしれませんので

心配な方はブラウザバック推奨です。

 

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僕は自給自足の生活を目指して

日々生きていました。

 

社会のよく分からないさまざまな仕組みに合わせて生きるのではなく

自分の身体一つで生きていきたい。

 

その土台を作った上で社会活動していきたい

 

 

そう思っていました。

 

しかし、先日、

チェーンソーで手に怪我を負ってしまいました。

 

怪我をした瞬間に

「病院に行きたい!!」と思いました。

 

痛くて、

「早くこの状態をなんとかしたい。」

それだけをその瞬間は考えていました。

 

しかし車で病院に運ばれる最中

思っていたのは「自給自足してるのに情けない」という思いでした。

 

自分の責任は自分で取る。

 

怪我をしたら、病気になったら、、、

 

それは運命で

 

もうそこまで。

 

過度な治療や医療は受けたくない。

これが僕の理想の生き方でした。

 

実際にそうして生きている人にお会いして「そうだよな。そうだよな。」と

 

自分もそうして生きていこうと決めていたので

 

今回の怪我とそれの治療に関して

とてもマイナスに考えてしまっています。

 

情けない。

 

本当に情けない。

 

所得を低くして生きていこうと考えた要因も

医療や税金、その他お金のしくみに反抗したかったから

 

しかし、怪我をして医療を受けている自分は

そのしくみに助けられてしまっています。

 

指一本なくなるくらい

 

どうということはない。

 

と思う一方、

 

自分の身体は親が産んでくれた大切な身体で、

特に手は綺麗な手に産んでくれたと

自画自賛している部分でもあって

治るものなら治したい

 

ギターも弾きたい。

取り戻せることなら取り戻したい。

 

しょうもない欲求だ。こういう欲が

全てを悪くする

 

ずるずるずるずる、甘えて、保守に走る

与えられていることが当たり前だと勘違いする。

 

医療を受けられるのは当たり前の権利だと

 

指が切れても、今の医療なら治って当たり前だと

 

病気になっても誰かが治してくれると

 

勘違いする。

 

それは自分以外の誰かが人生の大切な時間を使って働いたお金で助けられていること

 

医療関係の方々が血反吐を吐きながら

沢山の進歩を積み重ねてきたからこそ

 

僕の指は治ることを忘れてはいけない。

 

 

自分以外の誰かが負担をしてくれていること

を忘れてはいけない。

 

医療をうける自分にはその責任がある。

 

 

その責任を果たせるのであれば、、、

 

そう考えると心が救われます。

 

自分の責任を自分で取れず

目に見えない誰かの何かもわからないエネルギーに助けられている。

 

自分もどんな形であれ社会に還元していかないと、、、自分の心が折れそうです。

 

これをエネルギーに変えて進むしか

僕が僕らしく生きていくことはできない。

 

こんなネットの書き込みで意思を表明することでしか、今のモヤモヤを晴らせないのもどうかと思いますが、、、

 

ここまで読んでくださった方

ありがとうございました。

 

7月末に手術をしてその後入院になります。

その間村づくりをお休みしますが、

術後、僕の身体が動かせるようになったら

村に遊びにきてくれると嬉しいです。