ちんたら村 村長のブログ

村づくりのあらゆるプロセスを共有します

「自然との戦いと恩恵と共存」

 

私は自然を守りたいと思った。

 

必要な命だけをいただいて生きていきたいと思った。

現代社会の仕組みから抜け出して、山で自給自足をして

自然の摂理に沿って生きればそれは叶うと思っていた。

村生活をする前は、、、、、

 

 

頭の中で理解し考えていることは

本当にちっぽけで、現実は複雑だ。

 

理想がことごとく覆される日々。

私は「自然」というものを知らなかった。

「生き物」というものを知らなかったのです。

 

 

理想を胸に、自然と相対した時

何が現実で、何が妄想なのかわかるようになってきた。

 

自は己

然はその通り

己の通りが「自然」という漢字の持つ意味だ。

 

いくつもの己が道理を通そうとするのが自然である。

 

 

「自然との戦いと恩恵と共存」始まり始まり

 

 

皆さんは「自然との戦い」を経験したことがあるでしょうか?

夏場のキッチンに沸く小蝿との戦いを例にすると

今でも世界中で小さな戦いが起きている。

 

「戦い」という言葉が気になる方がいるかもしれない。

しかし私はあえて「戦い」と書くことにした。

 

人間の財力と知恵にものを言わせて、コバエホイホイやスプレーによって小蝿は住処を奪われる。

 

人間にとっては大したことがないことも他の生物にとっては必死なできごと。

 

今世界中でコロナウィルスと戦っている。ウィルスは生物じゃないという人がいるが

その戦いの構図は本質的には同じだと思います。これを生き物同士の戦いと呼ばずしてなんと呼ぶのか

 

村では

 

村民VS鹿

の戦いがあります。

 

鹿が山の至る所で大便をする。最近では村の中に入ってきてする。

 

村の番犬「才蔵」が夜通し「ここは僕たちのテリトリーだ!」「入ってくるな!」とワンワン吠えても鹿はテリトリーを侵略し人の敷地に入ってきて

 

うんこをする。

 

翌朝、才蔵も負けじとそのうんこの上にうんこをする。「ここは僕の縄張りだ」とマーキングをして回っている。

 

うんこ合戦である。

 

犬の方が本能的に物事がよくわかっている。

なぜ鹿をテリトリーに入れてはいけないのか、人間の私は知らなかった。

鹿のうんこにどんな地雷が含まれているか、、、、

 

 

ある初夏の晴れた日。草っ原で才蔵と一緒に寝っ転がって遊んでいた。

 

途中で才蔵の口にニョロニョロしたものがくっついていた。

「おいおいなんで口にナメクジついてるのに気づかないんだよ」と笑いながら取ろうとしたが

触っても取れない。

 

ひっぱてみるとキュポンと取れた。

 

それはヒルだった。

自分の足を見てみると血が流れた跡があり自分も吸われていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

家に帰って才蔵をグルーミングしていると

 

たわしの隙間に挟まる毛の

その間に小さな点々がいくつも見られた。

 

よく見ると足がウネウネ動いている。

 

マダニである。

 

すぐさま調べてみるとヒルやダニから犬にかかる感染病は数多く存在し中には人にかかるものも多く存在する。

 

すぐさま動物病院に行き保険のきかない高い高いワクチンとダニよけの薬を才蔵に飲ませた。

 

 

さらに調べてみると

ヒルは鹿のうんちから

マダニは猪や鹿などの獣の体から

 

土地に運ばれてくる。

 

畑の野菜を荒らされるくらい対したことない

柵をすればいいのですが、、、、

 

「なんとか鹿と共存できるようにはなれないのだろうか、、」と

もののけ姫のアシタカのようにそんな未来を思い描き村の暮らしを始めたが

 

 

生き物というものは本当に強い。一瞬の隙を見せると、どんどん侵食してくる。

己の道理を通そうとしてくるのです。

 

マダニとヒルが飼い犬に寄生し

数を増やし来年はさらに多い数のやつらが襲ってくることを、、、

 

鹿の個体数は年々増え続ける。それに付随してヒルやマダニも増えていくのです。

 

 

これはもはや戦いである。

 

 

それは雑草も同じ

虫も同じ

 

その他にも様々な手で

自然は「のんきに生きている私」に対して

侵略をし続けてきている。

 

都会にいた時には気がつかなかったが

税金で街をキレイに整備しているから

自然を寄せ付けないだけ

 

 

しかし、自然は侵食してくるだけではない。

 

アレルギーと寄生虫の関係を例にすると、衝撃的なぶん伝わりやすいと思うのどうかお聞きください。

 

昔ながらの農法ではなく

農薬や科学的な要素を加えた近代農法に変わった戦後

 

日本から寄生虫病の件数が急激に減少した。

 

それまでの日本人の7割が寄生虫を体に宿し、子どもたちも小学校で年に一度薬草を煎じた汁を飲まされお尻の穴から寄生虫を取り出して学校に提出するという行事もあった。

 

人糞を肥料とした畑や漁業の盛んな日本の食文化では体の中に寄生虫を宿していることは珍しいことでもなかったのです。

 

それから何十年もたち寄生虫は日本人の体からいなくなりました。

 

 

しかし、昨今のオーガニックブームにより寄生虫病の件数が増えてきていると

寄生虫専門医の藤田紘一郎氏は述べています。

それもかなりの件数で増えているとのことです。

 

そして医学界では寄生虫が日本人の体からいなくなったことでアレルギー症状を引き起こしているとの見解が支持されています。

 

この寄生虫と人間の体の関係を知った私は

はじめ驚き、怖くなり、自分の腹に手をおきました。なぜなら人糞の肥料活用、ジビエの活用を自分の食生活に取り入れていたからです。

 

 

しかし落ち着いて考えると

自然とはそういうものなのではないか、と考えることもできます。

 

元々体の中には様々な細胞や菌が共存している。オーガニックの野菜を好んで食すということの

主義主張の本当のところにはこの生き物との共存という概念があることを知りました。

 

 

 

そしてその「共存する上での恩恵」を感じる日々も続いた。

 

湧き水や土地の食べ物(野草や山菜、ジビエ、田畑でとれる穀物や野菜)はもちろんだが

 

現在の古民家ブームにあやかっている人は実感していることかもしれない

 

日光の入り方、綺麗な水を入手できる井戸、高床式&軒下のある床の構造、湿気をコントロールする土壁や障子や畳、風の通る立地

 

100年以上立ち続ける民家には自然の「恩恵」を多く受け取れる仕掛けがいくつもなされていた。

 

それはどれも共存するためのバランスが取れる設計がなされています。

 

風も日光も水も

生き物も、こちらの関わり方次第に受け取り方が変わるのです。

 

 

戦いだけでも「共存」は考えられず、恩恵だけでも考えられない

 

二つを経験して初めて「共存」とは何かを考えられるようになる。

 

 

だからこそ自然に触れることは大人にとっても子どもにとっても大切なのです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

いくつかエピソードをあげましたが、

 

「自然との戦いと恩恵と共存」

 

これは人類が生きていく上で

最も基本的な「道理」だと考えています。

 

村で暮らしていると

このように周りの環境から様々な「戦い」と「恵み」と「共存」の知恵が

生まれてきます。

 

四季を通じてそのバリエーションはとても豊かにあります。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

子どもは大人の姿をよく見て

それを「真似」します。

 

以前勤めていた保育所

1歳児が掃除をする大人の真似をして

落ちていたスギッぱを持って土の上をはいている姿がありました。

 

自然の中で暮らす大人たちは

日常的に様々な仕事をします。

 

その動作を子どもたちは遊びとして「真似」をします。

 

大人が自然の中で暮らすには先ほどの「自然との戦いと恩恵と共存」

で述べたような要素があります。(ここは思考力を養うことや問いとしてもとても面白い)

 

子どもの思考力が芽生えた時に「現代の自然の中で暮らす大人の姿」やそこでの問いに触れることは「身近であり、本質的なもの」ばかり。

 

大人は答えを求め、環境に関わり

かつ

答えを子どもに押し付けない。あえて問いを残す

 

そんな環境を作れた時

「自然との戦いと恩恵と共存」ということを否応にも考えさせられる村での暮らしは

 

子どもたちにとっても探究的かつ、生きた知恵と人生の土台をはぐくめるのではないかと考えています。

 

猪やアライグマなどの解体動画はこちら

youtu.be