ちんたら村 村長のブログ

村づくりのあらゆるプロセスを共有します

村保育と「自然」の関係

村の中で保育を行えば

日本一質の高い保育環境を作れる。

 

質の高さの要因として真っ先に思い浮かんだのが「子どもと自然の関係性」です。

 

保育業界では長らく子どもが自然に触れる機会を大切にしてきており

なぜ乳幼児期にとって自然との関わりが重要なのかについての研究も数多くされています。

  

 

なぜ子どもにとって自然環境が良いかを理解するためには

「子どもとは何か」を理解する必要があります。

 

少し遠回りに感じるかと思いますが、人生、遠回りが大事です。

 

ちんたらしようぜ。ということで書き進めて行くとしましょう。

 

 

 目次

1、そもそも子どもとは

2、子どもの遊び環境について

3、里山の遊び環境の質

 

 

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それでは始めに

 

 ●そもそも「子ども」とは

 

18世紀後半の西洋社会(産業の著しい成長が文化を押し上げた時代)

哲学者ルソーは「エミール」という本を通して社会に新しい子ども像を投げかけた

 

 

それまで社会が捉えている子ども像は

・「労働の担い手」としての子ども(子どもは働くことが当たり前でした)

・大人よりも子どもが劣っているという「未完成な大人」という考えが主流でした。

 

近代化が進むにつれて労働環境や家庭環境が大きく変わった18世紀

働かされていた子どもの環境は先の子ども観からも分かる通り、大人との主従関係が先に出ていたので劣悪なものになっていきました。

 

それに対してSTOPをかけたのがルソーです。

ルソー エミールの一節

 

人は子どもというものを知らない。子どもについて、まちがった観念をもっているので、議論を進めれば進めるほど迷路にはいりこむ。かれらは子どものうちに大人を求め、大人になるまえに子どもがどういうものであるかを考えない。

 

 

大人の経験や知識を元に子どもを捉えるのではなく

「子どもは一人の人間であり」

「子どもには子どもの文化がある」

といった思想をルソーは投げかけました。

 

ルソーは子どもを観察し続け、子どもがよりよく育っていくには

どのような環境がいいのかを模索し続けたのです。

 

 

ルソーの考え方から影響を受けペスタロッチ、フレーベルと続く研究者たちが

子ども主体の教育環境を提唱し

 

その後、エリクソンマズローフロイトピアジェらにより

人の発達が明らかにされていく過程で子ども特有の発達過程が解明されてきた。

 

 人間の高度な発達の一つ一つは乳幼児期にその基礎があります。

「人を愛すること」「人生を楽しむこと」「健康的な生活を営むこと」

その一つ一つが乳幼児期の時から「周りの環境」を通して育まれていくことがわかってきたのです。

 

 

●子どもの遊び環境について

このブリューゲルの「子供の遊戯」1560年の絵画をご覧ください

街中で遊ぶ子どもたちの姿が描かれていますが、研究者たちはこの遊びの種類の多さに驚きました

 

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この絵の中には86種もの遊びが描かれており、子どもの遊びの豊かさを表しています。

 

子どもが街にあふれていた時代には、こんなにも豊かに子どもが遊んでいたのです。

 

さて

現代の街中や住宅を見てみよう

 

街中は

なぜ地面はコンクリートなのだろうか

なぜごみはひと所に集めているのだろうか

車とはなんだろうか

公園とはなんだろうか

 

 

住宅は

なぜテーブルが高いのだろうか

なぜドアがあるのだろうか

テレビやパソコン、スマホはなぜあるのか

 

 「子供の遊戯」の絵画にある遊びの種類と比べて

現在の生活地域で子どもの遊びは何種類ほど上げられるでしょうか?

 

なぜ子どもにとってこんなにも過ごしにくい環境になってしまったのか

 

 

1980年代以降、道路の整備、都市化、道路法の改正により子どもの遊び場は公園へと追いやられ、昨今では公園遊具の撤去や公園の撤去など、子どもの遊びが社会的に軽視されていることはが伺えます。

 

スイスの研究には「道で遊んでいる方が社会性を身につけているという調査結果」も存在し、その研究では「専用の遊び場で身近な道路および周辺での遊びの代替はなし得ないことも明らかである。」ということも加えて述べられている。

マルコ・ヒュッテンモーゼル(マリエ・マイエルホフェル小児研究所、チューリヒ:スイス) 子どもと生活環境:子どもの日常生活と発達に関する生活環境の意義についての実地研究 Children’s Environments 12 (4), pp. 1 – 17, Dec. 1995

 

 

ドイツ、オランダの取り組みでは1970年代ごろから子どもが道路で遊べるような保証がすでになされており日本も当時行っていたが公園の整備が進むにつれて「道路で遊ぶこと」は禁止の方向に進んでいき、、、、現代の「遊びの貧困」と呼ばれるような事態になっているのです。

 

話を最初に戻します。

 

では

現代の住環境や暮らし環境はどうでしょうか?

 

子どもにとって安心な環境の中で自由に遊べるものでしょうか?

 (大人にとって安心な環境ではありません)

 

 

里山の遊び環境の質

水遊びを例にあげてみましょう。

 

日本は雨が多く、自然のある環境で暮らしていると水はそこら中に流れている。

田んぼのあぜ道、用水路、自然に作られた水の通り道、湧き水、川

 

保育士が里山の環境の中で年齢に即した水遊び場を作ることで、子どもたちはより自由に遊べる環境が保証されます。

 

先日集落で2歳の子ども(ここではT君とする)と関わっている中で水に関する衝撃的な発見がありました。

 

動画はこちら。概要欄の3:44〜をクリックしていただけるとその場面に飛べます

https://youtu.be/x1PHauOE7AY

 

T君は家の水道や神社の手洗い場などで水の存在を発見すると、水に吸い寄せられるかのごとく水遊びに夢中になります。

 

そんなT君がある日

山を散歩中に伐採された竹の付け根に雨水が溜まっていることを発見しました。

木の棒をもち竹の中にたまる水をかき回して遊び始める。

もともと竹の中に入っていた枯葉や屑がかき回される。

 

時には周りにある木のみを入れたり、木の棒に着く水を「ピン」と飛ばしたり、

 

その日T君は

20分もの時間

集中して偶然にも見つけた「竹の水たまり」で水遊びを堪能していた。

(2歳児が20分間集中することは稀である)

 

 

ここで注目したいことは

T君は「竹にたまる少量の水(精々200ml)」で満足した。ということです。

家の水道や神社の手洗い場で遊ぶ時にT君が「少量の水」で満足することは無いといってもいいでしょう。

 

しかし今回の遊びでは「竹にたまる水以外周りに水はない」ということや「竹は地面に生えていて動かせない」ことによりコップのようにひっくり返して水を外に出せない。といった状況があった。

そこに不便さがあった。

 

その他にも「細い木の棒を折らないように力加減をしながら水をかき回す」「木の実などの細かいものをつまむ」「使ってく中で壊れていく物に触れる」など、自然物のもつ多様性とその刺激がT君にとっては不思議で興味深い物だったのではないでしょうか。

 

そしてそのような不便さがありながらも遊んでいるT君の姿は

「安心して自由に」遊んでいたのです。

 

いくつもの要素が噛み合って偶発的にもT君にとって充実した時間になった雨水での水遊び。

 

この自然環境が作り出す偶発的な遊び場は、偶発的に起こる乳幼児の興味に対する応答性が高いと私は考えます。

 

また「ただの自然」と「里山の自然」の違いは

人が手を入れているか否かにあるのですが

 

人が手を入れた自然はある意味では余白が生まれ、混沌(カオス)が生まれます。

そこが子どもにとって最高の遊び場になると考えています。

 

先の例においても

大人が山の整備で竹を切ったことで

水が溜まる竹が生まれたのです。

 

子どもが主体的に遊べる環境の一つとして、里山環境の力は計り知れない。

 

 

 それは大人が設計した街中の環境や公園よりもはるかに

遊びが発展し、子どもが自由感を持ち、主体的に遊び込める環境ということです。

 

身近な環境に自ら関わり、体と心を動かしながら「遊ぶ」

近代化の波によって子どもの自由な遊び環境は今もなお大きな影響を受けています。

 

それを打開する方法として「里山の子育て環境」は一つの豊かな実践になると確信しています。

 

 

次回のブログからは研究の紹介ではなく

実際に里山の暮らしの中からエピソードをあげて

「自然」をテーマに文章を書いて行こうと思います。

 

 

次は「自然との戦いと恩恵と共存」です。最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

p.s.

以下、私が学んできた文献の中で面白いと感じた文章を抜粋して載せたいと思います。

物好きの方向け

 

「模倣から教育を再考する」 佐伯 胖(青山学院大学社会情報学部教授)

https://www.blog.crn.or.jp/kodomogaku/m/pdf/26.pdf

文章中段の

研究者のビクトリア・ホーナー(Victoria Horner)の研究が特に