先生とお兄ちゃんの違い
どうも。ちんたらむらの和志です。
先日久しぶりに1歳、5歳の子どもたちと関わって
感じたことを改めて言語化したいと感じたのでブログに投稿します。
先生とお兄ちゃんの違い
です
始まり始まりー
早速なのですが今回書きたいのは
先生として伝えられることと
近所のお兄いさんとして伝えられることの違いについてです。
目の前の子どもが何かをしているときに
子どもが聞いてもないのについ教えたくなっちゃったり
自分の考えをつい話したくなる時ってありませんか?
僕はめちゃくちゃあります。
例えば子どもが水道の水を流しっぱなしにしてる時
「もったいないよ」
と言いたくなります。
保育士をしていた時には子どもに伝える前に
それって本当にそうなの?と考えるくせがついていたので(特に子どもに何かを教える時には)少し見守って考えてみていました。
その時に思い至ったのが、、、
子どもは水遊びが好き→→→川だったら水が勿体無いとかは子どもに言わなくてもいい→→→幼稚園っていう限られた環境の中に子どもを入れちゃってるから水が勿体無いだけ→→→だから子どもに頭ごなしにもったいないでしょう!というのではなく、事情を説明することはやっぱりマスト→→→伝えて終わりじゃなくて子どもが水遊びを思う存分できる環境を作るのは大人の役目だから明日までには作ろう。
という思考でした。
先生という立場にいると正解(その時に誤解のないように適切に)を子どもに伝えないと、、、という思いでしたが、一歩引いてみると物事ってそんなに単純じゃないし、色々な側面がありますよね。
水にしても、
そんなこと言っても日本は水が豊かだからそういう風に考えられるだけで、勿体無い水の使い方をしてる子がいる時に「日本は水が豊かにあるけどそうじゃない国もあるんだよ?」と伝えて見るのも僕はありだと思うんです。
他にも「もったいない使い方をするともったいない婆さんが来るぞ」とか「もし地震が起きた時にはタンクの水が大事になるから勿体無い使い方をしちゃダメ」とか色々な伝え方があると思います。
先生や親等のポジションから伝える言葉って子どもに与える影響は大きいと思うんです。特に幼少期の頃は。
そんな中地域のお兄ちゃんが
「おじさん勿体無い使い方をする子は遊んであーげない」
「俺も混ぜてー!」
「こうやると勢いよく出るんだぞ?」
など先生だったら絶対言わないような言葉で様々な考え方を子どもに伝えてあげることには大きな意味があるように思います。
物事には色々な側面があって、人それぞれに考えがある。
ということを子どものうちに体験することは
正解を教えることよりもすごく大切なことに思います。
本当だったら先生もそうでありたいんですが、、、
幼稚園で1人担任ですと先生以外の大人と関わる時間が子ども達には少ないですからね、、、子どもたちと一緒に悪いことをすることも立場的にできないですし、、、
今回このようなことを考えたのには訳がありまして
先日村に来た子どもたちがジビエの文化に触れる機会がありました。
さばく所を見たり、実際に射止める所を見たり、食べたり
そんな中で事実としては、
農作物の被害にあって困っている人がいる。
増えすぎた動物たちが森や山を荒らして自然破壊をされている。
その結果そこに住めなくなる人たちが出ている。
などの理由が狩猟の裏側にはあるのですが、
子どもたちにもその子なりの「かわいそう」と思う理由があったり
「なんでそんな悪いこと(鹿を殺すこと)をするの」と思う根拠があったりします。
そこに大人として事実を伝えたい気持ち(先生的な)と
もっとフランクに
「でもみんなが食べてる豚とか牛とか鶏の方がもっとかわいそうなことされてると思うんだけど。だって生まれた時から檻に入れられて自由なところにも行けず好きな食べ物も食べられずしまいにはたくさん何かをやらされて最後には必ず殺されちゃうんだから」的な個人の考え(お兄ちゃん的な)を伝える方法と
どちらが良いのだろう、、、と迷ったのですが
結局どっちもやってしまいました笑
情報量多くて子どもたち的には???
な部分もあったかもしれませんが、、、誰を信じてどんな風に考えて行くかはこれからの時代特に大事になって行くスキルかと思うので村にいたお兄さんという感じに事実とフランクな意見どちらも伝えて見たのでした。
先生をしていた時のジレンマを思い出したので書きましたが、よくよく思い出すと立場の違いなんて関係ないですね、、、笑
村の中で子どもが暮らすようになったら、言葉で説明しなくても伝わるんですけどね、、、それを目指して村づくりがんばります。