ちんたら村 村長のブログ

村づくりのあらゆるプロセスを共有します

教育とは

 

こんにちは

ちんたらむらの和志です。

 

最近ちんたらはうすに久保ちゃんという学生が泊まっています。

 

その中で教育について考えさせられる場面がいくつかありまして、子どもの教育に携わりたい自分にとって貴重な学びとなっています。

 

その学びを言葉にしておこうと思います。

 

 

後輩の教育

子どもの教育

どちらも同じ原理原則だろうと思っていました。

 

相手が何をしたいのか

何を考えているのか

何につまづいているのかを察して

 

相手の話に耳を傾けて

自分で考え行動できるようにサポートすること

勇気づけること

見守ること

 

これを大事に子どもと関わっていましたし

学生の久保ちゃんにもそのように関わればいい

と思っていました。

 

一緒に暮らしていると

自分とは違う相手のやり方に触れたり

 

自分が大切にしていることを

相手が大切にしてるとも限りません。

 

自分がこうして欲しいと思うことを押し付けるのはしたくないのですが、、、

 

これは教えたほうがいいのか?

伝えたほうがいいのか?

 

と迷う場面がいくつもあります。

 

言葉で教えられて学ぶことよりも

自分が身をもって経験することの方が何倍も大事だと知っているからです。

 

特に共同的な暮らしの中に

学びや教育がある。と考えている自分にとって

言葉で伝えずに教育をするためには

自分の姿で表すしかないのか?

と考えてしまいます。

 

 

一緒に暮らしていて

道徳的にどうかを後輩に説くことを躊躇する自分がいます。

 

なぜなら

こちらが思っている以上にその人にはその人の都合というものがあるからです。

 

どう伝えたらいいか

どう接したらいいか

どういう風に自分はあればいいのか

 

久保ちゃんからこちらが教育されているように思います。

 

また、自分が昔

人に言われて意味のわからなかったことや

納得できなかったことが

久保ちゃんを通して思い出されて

 

なるほど、、、

だからあの時あの人は自分にそう言ったのか、、、と合点がいくのでした。

 

 

過去の自分の姿と重なり

自分がした過去の失敗を久保ちゃんもするんじゃないかと勘繰り

教えたくなる気持ちが出てきます。

 

しかしそこをぐっとこらえて

本人の姿を尊重し、見守る。

 

人を育てようとすると

自分が育てられる。

 

幼児からの学び

学生からの学び

 

やはり同じでした。

 

共同生活の中での育ちや学び合いは特に強烈で、目の前で起きた出来事をどう受け止めるかを毎回考えるチャンスがあります。

 

相手はどう考えているのか

自分はなぜそう考えるのか

 

を暮らしの中で丁寧に見つめていくこと。

 

 

日常の中にこそ大きな学びがある。

 

 

ちんたらむらでは哲学の時間という名で

テーマに沿って話をし、表現しあったり

意見を言い合ったり、相手の考え方に触れる対話の時間を大事にしています。

 

先日は久保ちゃんに話したいテーマはある?と聞くと

「気遣いについて話したい」

と言いました。

 

久保ちゃんは久保ちゃんなりに

僕が言わなくても学んでいるのでした。

 

 

相手を認めること

尊重すること

 

その中に大きな学びがある。

 

人を教育するということはどういうことなのかまだまだ答えは見つかっていませんが、

歩いている道は信じていい気がしています。

 

以上、教育とは

でした。

 

これからより深めていきたいと思います。