ちんたら村 村長のブログ

村づくりのあらゆるプロセスを共有します

限界集落で5歳児を1年保育してみた話 「何にもないから何でもできるへ」

 

2021年4月

 

「この切り株を見てごらん。こうやって木を切って山を整備しているんだ。」

と彼に話した。

 

彼はその言葉に食い気味に答えた。

 

「木の切り方知ってるよ。

オノでガンガンってやるんだよね?

あつもり(あつまれどうぶつの森というゲーム)でやったことあるから知ってる〜!」

 

これは彼を村の裏山に案内していた時に出てきた言葉だ。

 

 

屈託のない笑顔で自分の考えを話すことが大好きな彼は

無邪気な様子で裏山を登り続けた。

 

歩きなれない山道を何度か途中転がり落ちながら

上へ上へと登っていった。

 

「とぉちゃんかぁちゃんここまで登ったの驚くだろうなぁ」

彼の口からこぼれ出たのはそんな言葉だった。

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そんなことを話していると彼の両親が迎えのために村に帰ってきた。

 

「おーい!!!!すごいところ登ってるでしょー!!!」

大声で叫ぶ彼の顔は相変わらずの屈託のない笑みであふれていた。

 

 

彼はこの日から毎週日曜日

村に遊びに来るようになった。

 

 

少し余談になるのだが、

私はかねてより地方の教育格差について思うところがあった。

 

教育の大元は体験

その体験の大元は遊びに含まれると考えた時に

 

時間、空間、仲間

これは子どもが豊かに遊ぶために必要な条件であるが

 

このうちの3つがなくなっている現代

 

原因は様々、それぞれが相互作用を起こして子どもが外で遊び、体験から学ぶことが

連鎖的になくなっている。

 

一番大きな要因は1980年代以降

日本の遊び文化が消失していることにある。

 

 

 

遊びは伝承するもの

 

かつては公園などはなく

自分たちで遊びと遊び場を見つけていた子どもたち

 

自然があればそこで食べられるものを探しておやつにし

秘境を見つけては自分たちの基地にし

面白い地形が見つかればそこで様々な鬼ごっこをした

 

しかしそれは

年上の先輩方がその遊びを見つけ

様々な困難を乗り越えて

楽しさや危険の集合知を遊び文化に変えて脈々と伝承してきた繋がりの中だからできること

 

誰も人の入らなくなった土地で遊ぶのは怖いものである。

 

そんな遊び文化が途絶えてしまった現代

子どもが自ら自然に入っていき遊び込むということはできなくなってしまった。

 

一緒に遊べる同年代の子が少ない

身近な遊びはスマホやゲームやおもちゃ

遊び場が近所にない

 

海山川の自然が身近にあっても遊びが行われない地方よりも

 

人口が多く税金で公園がある程度数が確保されて整備され、習い事というなの小コミュニティが無数にあり遊び仲間も豊富にいる都会の方が遊び環境の質は総合的に高いのではないか。

 

この知見は保育学生の時に持っていたものだったが

房総半島の山奥に住み保育環境を作ろうと試みたこの1年で確信に変わっている。

 

 

ネガティブな余談が長くなってしまったが

 

そんな環境に

試行錯誤しメスを入れることできるのが保育士だ

という思いのもと山奥にて保育環境を作っていて、

その可能性と手応えを感じたという話をこれから綴っていきたいと思う。

 

 

彼の話に戻る。

 

普段の生活から180度反転した世界。

人よりも人ならざる生き物に囲まれた世界。

水道やガスなどのライフラインが整っていない不便な世界。

 

あるのは自然とその中に暮らす文化だけ

 

ざっくり伝えるとそれが村の環境である。

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そんな中に飛び込んできた彼は、知らない世界に戸惑い

どうにか自分の知っている世界とつなげて考えようとしていたように思う。

 

彼と出会った初期には「知ってるよ」という言葉を一日に何度聞いたことだろうか。

 

それは自分の知識を話したいのではなく、自分の知識と照合して自身を安心させている姿であった。

 

 

ぬかるみで不意に体に泥がついてしまった時

村で暇になってしまった時

自分の思いがかなわなかった時

「もうおうち帰りたい」

そんなつぶやきが聞こえたこともあった。

 

 

それから1ヶ月後

彼は山に秘密基地を作りたいといった。

 

裏山の木下に窪地を見つけ

枝で周りを囲み

そしてたまたま落ちていた小さいスノコを見つけて

「これをテーブルにしよう!」と提案してきた。

 

そして「ペンキある?」と聞いてきたのであった。

 

白のペンキを彼に渡すと彼はすのこに塗り始めた。

すると「あれ?これめちゃくちゃ大変じゃん。あつもり(ゲーム)ならすぐなのに。」

と呟いた。

 

確かにゲームの中で家具の色を変えたいときは

色を選んでポチッとすれば一瞬で素敵な効果音とともに家具の色が変わるものである。

 

しかし、彼は丁寧にスノコを黙々と塗り続けた。裏側も、木の隙間も。

 

そして塗りおえたスノコ(テーブル)を秘密基地の真ん中に置くと

 

「とぉちゃん見てー!!!秘密基地作ったー!!」

とお迎えに来たお父さんに秘密を自信満々に打ち明けていた。

 

彼をみているとゲームやスマホ

彼の世界を広げていることに気づく

 

絵本や童話のように空想の世界を楽しみ

現実世界の興味へと繋がり

遊びへと昇華される。

 

家具に色をつけるという発想はあつまれどうぶつの森をプレイしたことがあるからこそ出る発想ではないかと思う。

 

現代はゲームをした先に

遊びとしてそれらを再現する体験の場が枯渇しているのではないか。

 

それが子どもに遊びの貧困をもたらす1番の原因ではないかと思う。

 

村で

戸惑いつつも好奇心が芽生え

手足を動かして活動することの楽しさを知り

 

自分のやった結果に時に満足し、時に失敗をしては憤り発散をして

それを他者と共有する。

 

 

そんな日々を積み重ねていくうちに

次第に彼は今まで見せない姿を見せるようになっていた。

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泥だらけになって遊ぶ姿

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怖すぎるー!!と逃げ回っていた苦手な猫たちと遊ぶ姿

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今までは興味のなかった田舎暮らしのあれこれ

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何事も知らないこと

初めてのことは怖いもので

川遊びに行こう?近所の牧場に行こう?と保育士から誘っても

「えー!!お部屋で遊びたい」と拒む姿があったが

 

次第に「今日は〇〇に行かない?」と声をかけると

「行くー!」という反応に変わっていったのである。

 

 

彼の中で「何にもない世界」が「何かがある世界」へと変わったのである

 

 

 

保育士にできる最大の仕事は

 

子どもの安全基地となり

子どもを未知なる世界へと送り出し見守る

そしてこれを繰り返し行うこと

 

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ただ体験を提供するのではなく

 

子どもの人格に対し

保育士自らの人格を持って関わり

 

他人から安心の存在へ

安心の存在から安心な環境へと繋げ

未知なる世界を環境に散りばめ

好奇心を刺激し、主体性を引き出す

 

街には子どもが主体的に関われる環境があまりにも少ないが

集落の中にはそれになりうる環境が多い

 

しかし自然や集落といった環境は現代の子どもたちにとって

隔絶された環境になりつつあるし

その溝は今後も広がり深まっていってしまうように思う。

 

けれどもその課題に対して保育士ができることは

 

この1年を通して経験した通り、まだまだある。

 

 

この世界が何にもない訳が無い

人には想像力と創造力がある。

 

集落という環境は

水、土、風、生物そして人の文化がそこかしこに点在し

人の力を引き出す環境であふれている

 

そんな環境へと橋をかけて子どもたちと手を繋ぎ

渡っていくことができる。

 

この1年を振り返るとそんな思いが生まれていた。

 

 

大人になると新しいことに触れるのは中々難しいが

子どもたちは喜怒哀楽、真正面から新しいことに触れて

受け止められる。

 

子どもたちもいつかは大人になっていくが

子どものうちに色々な原体験を重ねて欲しいと切に思う。

 

 

限界集落で1年間保育活動をしてみて

その豊かさと可能性をこれでもかと感じた。

 

しかしその一方でこれを継続するために乗り越えなければならない課題も

たくさん見つかった。

 

その発掘された課題を解決するためには

私自身も子どもたちのように真正面から新しいことに触れ

受け止めて、「自主保育を続ける手段は何にもない」から

「できる」へと変えていきたいと思う。

 

そのために4月以降は一度保育の活動を休止することに決めました。

 

ちんたら村が社会にとって必要な場所となれるように大人の力を集めて

村づくりを次のステップに進めていきたいと思います。

 

以上限界集落で5歳児を一年保育してみた話でした!

以下村の意気込みです!

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2022年度の目標は

村民数100組獲得

snsのフォロワー獲得(youtube10000人、Instagram2000人、facebook1000人)

ソーシャルビジネスコンペ入賞

助成の確保

 

一番したい保育は脇において

これらに全力を尽くします。

 

 

そしていつか

限界集落での保育を形にし、集落に子育て家庭が溢れ

豊かな育ちの場が作れるように。

 

 

最後まで読んでくださった皆様ありがとうございます。

 

もし村の活動に興味を持っていただけましたらこちらのアカウントをフォローしてくださると嬉しいです。

 

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今後もこのブログにて村の活動や私自身のことを文章に残したいと思いますので

今後ともよろしくお願い致します。

 

村にもぜひお越しください^^!

 

 

 

 

 

 

 

人は冬眠できるのか??冬眠明けに書きました

 

こんにちは

ちんたら村のかずしです。

 

前回のブログが、村の家電についてでしたが

なんとなんとそんなことを言っている間に

ついに村に水道管が通ることになっております。

 

いやー開村当初からは考えられない、、、

 

変化に富んだ村づくりでございます。これもちんたらしてるからこそ。なのかな。

 

おてんとさまは暖かく見守ってくれている

はず、、、

 

ということで(どういうことだ)

今回のテーマは「冬眠」についてです。

 

はじまりはじまり〜

 

現代人の夢

 

冬眠

 

忙しく働きたくない

ずっと寝ていたい

溜め込んだ食料でだらだらしたい

時間に縛られたくない

 

そんな想いを持ちつつも遠い存在なのが

冬眠である。

 

りすやねずみ

カエルや蛇など

小さな生き物達は一年に一回

そのような時間を過ごしている。

 

せっかく世捨て人のような生活をしてるんだから、今年こそは冬眠してやろう。

そう意気込んでいた12月

けっきょく来村対応やイベント開催などで慌ただしく大晦日まで過ごし

 

1月中旬

よし!四日間休みのスケジュールが取れそうだ‼︎

冬眠ってやつをやるぞー!!

 

ということでその日までに食料や飲み物を蓄えベットの横に配置。

寝れない時のために見たい映画やアニメもリスト化し準備万端。

 

前日の夜

憧れの冬眠がいざ始まる

 

あぁ冬眠とはどんな心地なのだろうか

それはさながら天国なのだろうか

 

と遠足前の子どものようにワクワクしながら

しかし、すんなりと眠りにつき、、、

 

 

そして冬眠1日目の朝が来たのである。

 

 

だらだらと過ごしていると気が付いたら夕方

 

しめしめ

 

少し寝て夜中から映画を貪る

 

2本見終えたところで外が少し明るくなりだす。

 

そしてまた眠りにつく

 

起きたのは翌日

朝9時

 

パソコンを開く。

 

が、しかしここで異変を感じる

 

おかしい

 

もう何かを見るのも

寝るのも

 

飽きた

 

そう思う自分がいたのである

 

せっかく天気いいんだから

裏山整備したい

 

そう思う自分がいるのである

 

冬眠って難しいのかもしれない

 

そしてドアを開けて外に出る

冷たい風を感じる

それのなんと心地よいことか

 

冬眠チャレンジ失敗である

 

 

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月日は流れ2月

雪も降り、来村者もぽつぽつと

 

そして冬眠未遂の影響がじわじわと自分の中に広がっていることに気づく。

 

それは、ちょっと疲れたら休む自分

頑張らない自分、楽をする自分が目覚めていたのである。

 

そんな自分なので1日の活動時間も次第に短くなり、朝10時ごろまでだらだらし、

暖かくなり出した頃に少し体を動かして作業をし、15時ごろにはベットに入ってだらだらする

 

そんなルーティンができ始めていた。

 

お??これは??

冬眠できる、、、かも?

体が省エネモードになったっぽい?

 

そして前回同様四日間のスケジュールを休みにし

 

冬眠チャレンジスタート

 

そしてその結果、

難なく4日間だらだらと過ごすことに成功したのである!

 

それからというもの

来客対応は最小限に、終わり次第体を休める日々が続くのであった。

 

冬眠をしようとしてみて分かったこと

 

体と心を冬眠モードに

切り替えないと

 

冬眠できないということ

 

そして2月末

梅の花がいくつか咲き始めた頃

 

冬眠モードからまだ抜けていない身体で

裏山の整備を始めていると、、、

乾燥していたはずの樹木達がなにやら潤っている

 

枝先を見るとぷっくりとした蕾がいくつも

 

やばい。自分以外の生き物は

もう春に向けて動き出している。

 

心なしか雑草も増えた

 

冬眠モードから醒めねば‼︎

 

と春モードに切り替えたのでした。

 

冬眠して分かったことその2

 

冬眠明けは他の生き物の冬眠明けを感じて焦る

 

 

そして3月

春の気配がむんむんとする中

ちょっぴり焦りながら

 

新年度に向けての村開拓が始まったのであった。

 

村の歩み「家電は人を幸福にするのか」その2

 

電気が通って一番最初に使いたいと思ったのが

掃除機でした

 

それまでは箒で掃いていたのですが

木々の伐採や土木作業や家の工事ばかりしていた時期でもあって、掃いても掃いてもなくならない砂埃と自分で作った床なので隙間がそこかしこにあり掃除機があれば、、、全部綺麗に吸えるのに!と

 

はやくも文明の利器に頼りたい自分が姿を表していたのです。

 

電気がなければ全て諦めてノーストレスなのに

あるからこそ、○○があれば、、、と考えてしまうのでした。

 

そしてさっそく掃除機をもらってくることに成功して、久しぶりに使ってみると

 

まぁすっきり!

 

いままでは箒でざっくりとしか綺麗に出来なかった室内も、あっというまに綺麗になってしまい、掃除機ってすごい!!と心の中で褒め称えていました。

 

そこからは毎日の掃除の楽しいこと楽しいこと

 

家事が楽になると楽しくなるということを知りました。

 

 

そこから一ヶ月すぎたころ

6月中ば

村で事件が起きます。

 

その名も食中毒事件。

 

 

冷蔵庫なしの生活をやってみてはいたものの

今考えれば当たり前だろとか思うんですけども

梅雨入りして気温がジリジリと上がってきた最中、開封済みのトマト缶をカレーにぶち込んで

その夜から3日間、立ち上がれもしない腹痛と頭痛に襲われてしまったのでした。

 

村に電気が入り

掃除機を欲している時に薄々気づいていたのでした。

 

現代人の自分には家電なしで生活を送るのは

技術的にも身体的にも厳しいんじゃないか??という心の囁き

 

事件後

そんなことを考えるようになったのでした。

 

続く

 

村の歩み「家電は人を幸福にするのか?」その1

 

村長の和志です。

村の成長を秋の実りと照らし合わせて

勝手に心が満たされるここ数日を過ごしております。

 

そんな中

ついに村に洗濯機を導入してしまいました。

 

してしまったのでした、、、!

 

今まで洗濯機をもらえる機会は何度もありました。しかし、しかし、しかし!と先延ばしにしてきたのは、便利になる怖さから

 

しておいてなんですが

後悔に似た感覚になっております。

 

このブログでも村が便利になる度に似たような内容の記事を書いているのですが、、、

 

便利なものを導入するときの寂しさを

今回全力で文章にしてやろうと思います。

 

これからも村は便利になっていくと思うので

つどつど読み返そう。

 

ちんたら村の歩みを

「家電」をテーマに振り返ります。

 

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さてさて、初めは

電気をちんたらハウスに引いてきた時のこと

 

 

2020年4月から村での生活が始まり

 

二ヶ月弱

村に電気はありませんでした。

 

初日の夜

真っ暗な室内でどこが布団か

どこに寝巻きがあるのか

 

蝋燭をつけようにもマッチはどこにあるのか

 

探すために歩を進めるのすら危ない状況で(室内の床が未完成だったので踏み外すことも)

なんとか着替えて、蝋燭に火をつけたことを覚えています。

 

そして蝋燭に火がついた時の安心感は

生きた心地そのもの

 

今までは当たり前のように電気があって

スマホのライトがあって暗さを認識することはほぼ皆無

 

そんな生活から一変した時の蝋燭の火に

安心できる環境の有り難さを噛み締めました。

 

次の日からは

着替えも食事も片付けも寝る準備も

日のあるうちに済ませて、真っ暗になったら寝るだけ

 

という生活が始まったのでした。

 

日の出とともに起き

日の入りとともに寝る

 

その生活は地球のリズムと身体が呼応して

起きて飯食って糞して活動して飯食って寝る。生きることの本来の姿を思い出し

 

それでいいのだ

 

と思える日常でした。

 

そして5月下旬

村は僕の個人的な原点回帰の場所ではなく

最高の子育て環境を作るべくあるので

世の中と繋がるために電気の工事が村に施されました。

 

その夜の明るさもまた忘れません。

 

7時なのに活動ができる。

明るいとあれもこれもできる。

 

そんな感動がありました。

それと同時に蝋燭を使って生活することへの別れが頭の片隅に浮かびました。

 

そしてWiFiが通り

いつ何時でも活動できる世界が僕の中に戻ってきたのでした。

 

 

 

主体性は波紋のように広がる

 

村長の和志です。

お師匠さんからブログを強化すべし!!

とご教授頂き、ここ数回はパッション前面に押し出した文章を描くように努めてきましたが、

 

驚くことに閲覧数が増えてました🤣

200人の方が読んでくださるとは、、、

有り難し!!

 

ということで今回は村民の男の子のお話

 

村に通い始めてもうすぐ一年たつ小学生高学年の彼は初めて村で過ごし帰宅したのち友達にこんな言葉を話していたそうです。

 

「ちんたら村って場所があってさ

そこは本当に自由にしていいんだよ!」

 

彼の母からその話を聞いた時にまずほっとしたのを覚えています。

 

村の理念「他人のちんたらを邪魔しない」

これが環境的にも守られていることを実感した出来事でした。

 

しかし、

そんな彼が最近は言葉を変えて村を他の人に伝える時にこんな言葉を話していたそうです。

 

「ちんたら村はガチだからいい!和志さんが作るのを手伝ったり、自分で何かを作るのも本気でやれるから」

 

彼は村に来ると

大型犬の才蔵と遊び、最近は村にある漫画にはまり漫画を読み、自分の作った遊具の整備をして、僕が誘った村の遊具作りに参加(サウナやブランコなど)して過ごしています。

 

主体性とは常に発揮されるものではなく

発揮したい時に発揮されるもの

 

彼の過ごし方は私とそっくりなことに気付きました。

 

「ちんたら村はやりたいことをやる場所」

そんな文化が彼の中に目を出してくれていたとしたら、村づくりの歩みとして向かっている方向は正道だと思う。

 

ここ数日、村を訪れるご家族の方々の中にも

やりたいことをやりに来る魂がそこかしこに見られ、波紋の広がりを感じております。

 

波紋が起きると衝突もある。

しかし、大きな波を作ることもある。

 

どちらも覚悟の上で

時を過ごしたいと思います。

 

 

能動的な経験を

 

村長の和志です。

 

村に来る方々が能動的に体験を掴んで帰ってくれることに感謝でいっぱいです。

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今週末も2家族が時間を過ごして帰っていったのですが

かまどでの調理や、雨の中の散歩、干し柿作りなど

用意されたものだけでなく自ら楽しい時間を作り出してくれていました。

本当にありがたい

 

来村者に対して、村の環境を案内したり

一緒に作業をやったり、一緒に遊んだりという体験を提供する中で

用意しすぎることに気をつけているのですが

 

(食事の準備や食事の後の片付けや村の草刈りや宿泊のベットメイキングなどなど)

 

村民の方々には1日1000円という格安の料金設定も

お金をはらって経験させられるのではなく

能動的な経験を積む場所として利用してもらいたいからです。

 

楽しませてくれると思って来る方々と

楽しみにきてる方々では体験の密度も全く異なります

 

山の中の暮らしは能動的になればなるほど

たくさんの体験と収穫があります。

 

大人が能動的に体験を掴めば

その周りにいる子どもたちも自然とチャレンジするもの

 

能動的な方々が村民に増えてきたことを嬉しく思います。

与えられすぎることについて

 

村長の和志です。

 

村の教育の運営方法について

保育や子どもの受け入れを始めてから一年が立った今、頭を悩ませています。

 

村の教育で大切なことは

周りの環境から人々がどれだけ「学びや経験を掴み取っていけるか」につきると思います。

 

言葉で伝える教育や

体験を提供する教育は

現代に腐るほどあります。

 

しかし私の考える学びのプロセスには

伝えられることよりも

体験させられるよりも

本人の心が学びたいと思うかが出発点にあるべきだと思っています。

 

そのプロセスを考える時

どこまで教育者が準備をするかについての匙加減は難解極まるもので、それは一人ひとりによっても異なってきます。

 

村がまだ不便だったころ

住人も来村者にも主体的な学びに溢れていました。水がないからどうすればいい。床がない時に作るにはどうすればいい。などなど

 

不便な状態での学び環境は

とても豊かだった。

 

それはそれぞれがより良い環境づくりを心から求めた中に学びがあったからだと思います。

 

そして、その場で学んでいたのは子どもではなく大人たちでした。

 

子どもに経験をさせたいと連れてきた結果。

子どもよりも大人たちの学びにつながる要因が不便だった村環境にありました。

 

子どもの受け入れを開始してから1年立ち

環境が整ってきたからこそ

その壁にぶつかっています。

 

そんな風に頭を悩ませていると東洋経済の記事でこんなものを読みました。

 

https://toyokeizai.net/articles/-/456159?ismmark=a

 

「与えられることに慣れた子どもの残念な行く末」

 

強烈な見出しですが、衣食住の環境を0に近いところから作ってきた私としては、共感する部分が多くありました。

 

どこまで環境として用意をし

どこを用意しないのか。

 

 

村づくりのプロセスを関わる人達に共有したい。そして体験も共有したい。

手作りで進める中に様々な学びがある。

 

 

全ての人の学びの場にしたいちんたら村は

村に関わる方々とそのようなことを共通認識として今後も村づくりを進めて参りたいと思います。

 

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現在のちんたらハウス

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開拓前のちんたらハウス